重要無形民俗文化財 見付天神裸祭
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見付天神裸祭・見聞記

見付天神の裸体祭


遠江国磐田郡見付駅矢奈比売天神(式内)の祭典は、毎歳陰暦八月十日十一日の両日を以て執行せられ、十一日午前二時過ぎ三時といふに神輿の渡御あり、此時市内の各戸は一番触二番触三番触の撃柝の合図を以て一般に燈火を滅し舁夫は皆裸体にして腰部に注連を纏ふのみ、されば此祭礼を称して一般に裸体祭(はだかまつり)と呼び、又、犬追祭(いぬおいまつり)、比曾満利祭(ひそまりまつり)とも呼べり。此祭典は有名なものにして諸方より来り集まるもの数千人の多きに及び、夜間市中の賑ひは譬ふるに物なく此の祭典の為に臨時の汽車をも発せらるゝ程なり。
  此の祭典は昔時人身御供の時の遺風を存するものなりといふ都の錦(述作の年月及作者不詳)に、此の祭典の事及人身御供の事を叙せり、今その祭典のことを叙するものを掲んに、
爰に遠江国磐田郡見付矢奈比売天神と申奉るは、神妙あらたかにして、利益現前たり、祭礼は例年八月十日の夜なり、御輿渡らんとする時は、犬猫を追ひ払い(犬追祭の名の起る所以)之を遠ざけ、御輿守護する人のみ烏帽子白衣を着し、其余付随ふ御供の人々は皆丸裸にて腰に注連を引まはし、丑満時に一点の燈明もなく、真の暗の御祭礼なり、御宮より御旅所まで御輿渡御の間は皆無言なり、(比曾満利祭の名の起る所以) といひ、次に祭日数日前の行事につきて、 八月二日の夜神主清浄にしたる榊を駅中の処々に立置き、人々は穢を忌み清浄を極む、女も月経(つきやく)の前に当たるもの、親兄弟親縁の者の死したるもの、皆其穢の軽量によりてこれを他所に遣し祭礼の相済むまで帰ること叶はず、(曩時は実にかくありしといふ今は其厳粛昔に及ばず、忌中の人は遠慮して外出せずといふ位にて他所に遣すことはせず)。また産子は皆七日内に荒浜へ下り、其身の穢を清むることなり。 榊を駅中に立置くことは今も行ひ、名づけて「おみしまさま」といふ。惟ふに「御注連様」(おしめさま)といふ意ならんか、海浜に赴きて身を洗滌することを今之を「はまをり」或は「はまこり」といふ、浜汚離、浜垢離の義にや。前者は祭日の八日前に、後者は三日前に之を行ふを常とす、同書また人身御供の事を叙して左の如くいへり、 昔犠牲(いけにえ)を供ふる時には則荒浜より下り、清浄に相成る七日の晩丑満時、何処ともなく白羽の矢一筋家の棟に来りて立つ其家の娘を犠牲に捧ぐる年番当たれるものと相極るなり、同十日の夜、月の入るを合図に(今の神輿渡御の時刻は之より出でたり)小娘を白木の櫃に入れ、注連を引廻し、一点の燈火もなく、真の闇に大勢これを舁ぎ神前に櫃をなほし、一同に鯨波の声をあげて還りけるなり。 白羽の矢の咄は人身御供に伴ふて何くにもこれあり、必ずしも此処に限りたるにあらざるが如し、此処に犠牲を享くる神が信濃国光前寺の早太郎(都の錦には方太郎とあり)は居らぬかと大音に呼はりながら、三度櫃のあたりを廻り拝殿の内を眺め、暫く小躍りして櫃の蓋を取り、小娘を攫み去るといふこのこと何人が之を認めたりしかは知られざるも、信濃国光前寺の早太郎と呼ぶこそ奇怪なれとは一般に相認めたることならん、よりて一年一実坊弁存といふもの信濃国に赴き光前寺に詣りて、早太郎といふものを訪ねたりといふ、今土地に伝ふるところは早太郎にあらずして悉平太郎なり。又一実坊弁存にあらずして泊り合はせし廻国の六部が其咄を聞き、信濃国に赴きたるとき光前寺を訪ねたりといへど、こは事実にあらず。かくて早太郎は人にあらずして同寺の飼犬なりしかば弁存は其事情を咄して之を請ひ受け帰りて、怪獣を退治したりといふ。而して此の怪獣はいと年古りたる狸なりしとそ。
此事「遠江記」にも載せたり、記には早太郎、悉平太郎といふ二疋の霊犬を人の代りに供へしに、大なる年古りたる狸とくみ、あ日終に退治したとあり。
石川依平翁の「柳園雑記」に信州の人の来り話せしを記せる所あり。これによれば光前寺は宝積山と号し、天台宗にして信濃国伊奈郡赤穂村にあり。犬の名は早太郎といひ、同寺の記録及び経中にも一実坊弁存弟淡路阿闍梨光尤の名あること、弁存信濃に訪ね行きしこと、光前寺に犬塚のあることをいひ猶ほ一実坊弁存自筆の大般若経六百巻同寺にあることなどいへり。その大般若経の表紙の裏書に、遠江国府中北野天神宮内奉施入一実坊正和丙辰卯月八日(遠江記にも、人皇九十四代花園天皇御宝前国府一実坊書畢、六百巻の末に奉施入一実坊因一自力六箇年一筆書写とあり。こは怪獣退治の謝礼と見ゆといひ、猶建武二年丙辰二月二十六日以舞楽遂畢勝達阿闍梨光尤といふことも見ゆ光前寺の所在地赤穂は、飯田の北を飯島宿、其の次を赤須といひ、赤穂また其の次なりといへり。大般若経のことは「遠江記」にも菩提の為に大般若経を納め、五輪の塔ありといひ、「都の錦」にも廻向の為に大般若経を奉納し今に右大般若経(三百巻)光前寺にありといへり、天神宮内奉施入の意義通せず「遠江記」にも遠州府中北野天神御宮内奉施入祭式また奉施入神前など見ゆれば宮の名か若くは神名なるべし、天神宮内とあれば天神社の末社なりしなるべく、而して一実坊は其社なりしなるべし。
また「都の錦」には其頃の里人の思へるは当所にとりては、産神同然なればとて御社の傍に一字の宮を建て是を山神と祭り八月十日の夜は御本社同様に祭りけるとあり、見付天神は当時磐田原元天神といふ所にあり、其旧蹟に今も祠ありといへば、彼犬を祭りたる山神になるにや尚ほ尋ぬべし。「遠江記」には愛宕郷観音山の峠にて終わりしかば犬宮神社と祭るよし見ゆ、口碑にも負傷の為程なく死したるよし伝ふれば、左ることもありしにや、これも尋ぬべし。光前寺の記録といふものにはこの事は詳に叙したるべけれど未だ見ず。また白猿が「遠く見ます」といへるものには此の祭礼のことを記せりといふ、他日此等の書を見たる上にてまたいふこともあるべし。

明治四十一年九月五日発行
風俗画報第三百八十八号
淡遠小史


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