重要無形民俗文化財 見付天神裸祭
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見付天神裸祭・資料集
矢奈比賣天神考
山中共古翁著『共古日録』巻十 −写刻と注釈−

T.矢奈比賣天神考

 遠江見付町の矢奈比賣天神は、裸祭にて名高き神社なるが、祭神を知る者稀なり。 『出雲風土記』に「八野[やぬの])郷郡家<正>北三里二百一十歩  須佐能袁命[すさのうのみこと])  御子八野若日女命[やぬわかひめのみこと]  坐之爾時所造天下大神大穴持命[おおあなもちのもこと]  將娶給為而令 屋給故云八野」とある。 八野若日女命を矢奈比賣といいしなり。 「 (続後紀)に承和七年六月乙巳朔戊辰 奉授磐田郡无位矢奈比賣天神従五位下、 (三實)貞観ニ年正月廿七日 従五位上矢奈比賣神正五位上」と、 信友の『神名帳考証』に見えたり。
 共古按、矢奈比賣神が須佐能袁命の御子とせば、 此の神を此の地へ祭りし理由なくんばあらず。 今、中泉八幡<府八幡宮>の奥に小社あり。 舞車の神事のありし神社にて見付の氏神なるが、 これが 祇園神社にて、謡曲の『 舞車』の文句にも祇園なることをいえり。 然らば、父神の社を西に祭り、子神の社を磐田の原へ祭りしは、 縁あることにてありしなり。 八野日女命の神名の上にても、原に祭る縁ありしことにはあらずや。 中泉八幡宮の地は国分寺の蹟にてあれば、 祇園社は国分寺以前より存せしにはあらずや。 国分寺時代になりて地主の神社となりしも、小社なりしならん。 後ち、国分寺衰えし頃に舞車の神事もありし程に盛んなりしも、 八幡様信仰時代の為に忘れられ、社地の奥へ押込られし如き様なりしにはあらずや。
 遠江磐田郡見付町矢奈比賣天神社は、東のはずれニ、三丁北の林中にあれど、 そは社を移せしにて、今の社よりは数町奥に元天神と当する地あり。 此の辺磐田原の地にて、これにありしを移せしなり。


U.矢奈比賣天神考のニ

 (矢奈比賣神社の考は前にも記したるが、足らぬことを補して再記す)
 遠江国磐田郡見付町に、裸祭にて名高き矢奈比賣天神社と称するあり。 祭神、天神の称あるより世俗誤りて、菅公を祀りしこととなれるが、 元来は然らず。⇒( 考 注) 矢奈比賣神とは、他所にその神名を以て祭られしあるものや知らず、 古事記および書記等の神名中にも無き様なるが、伴信友の『神名帳考証』に、
「矢奈比賣神社
 ( 続後紀)承和七年六月乙巳朔戊辰 奉授磐田郡无位矢奈比賣■天神従五位下、 ( 三實)貞観ニ年正月廿七日 従五位上矢奈比賣神正五位上  ( 雲風)スサノヲノ命御子八野若日女命  ( 式考)見付駅ノ天神コレ也  世俗菅公ノ天神ト思フハ誤也」云云
内山真龍の『遠江風土記傳』に、
「按山城風土記姓氏録等、矢奈比賣■■者矢之姫神而御祖 賀茂建角身命也、其御子別雷命穿屋甍而升 於天、故稱 天神乎」
以上のニ説によれば、矢奈比賣天神は此等の何れかにあらん。即ち
 ・八野若日女命『出雲風土記』
 ・矢之姫神  『山城風土記』
 共古按に、風土記の古風土記として信ぜらるものは、常陸・出雲・播磨・肥前 ・豊後の五ヶ国にすぎざるべし。他は残篇又は後世のものにて、偽作も多くあれば、 引証するに足らず。風土記を研究されし栗田寛氏は、山城風土記逸文を『古風土記逸文 巻之上』に 載せられしが、その中には、
「賀茂建角身命 娶丹波國神野伊賀古夜日賣(かみぬのかむいかこやひめ) 生子名曰玉依日子(たまよりひこ) 次曰玉依日賣(たまよりひめ) 玉依日賣於石河瀬見小川之邊 為遊時丹塗矢自川上 流下乃取插置床邊 遂感孕生男子 (中略) 分 穿屋甍而昇於天 乃因取外祖父之名賀茂別雷命」云云⇒( 考 注)
『遠江風土記傳』に記せしは、伊賀古夜日売のことを云つるならんが、⇒( 考 注) 古風土記として信ずべき『出雲風土記』には、
「八野(やぬの)郷 郡家正北三里二百一十歩 須佐能袁命(すさのうのみこと)  御子八野若日女命(やぬわかひめのみこと)  坐之爾時所 天下大神大穴持命(おおあなもちのみこと)  將娶給為而令造屋給故云 八野(やぬ)
かく記されてあれば、八野若日女命を遠江磐田の原へ祭りしことと思わる。 しかして、此の神を此の地へ祀りし理由として考うべきことは、磐田原の西にあたり、 今の中泉八幡社の後方に祇園神社あり。 此の神社、今は小社なるが、見付町氏神として祭られ天御子神社というて、 昔は舞車の神事ありしにて、謡曲『 舞車』に、 「是は遠江國見付のこふの者にて候 扨も當所の祇園會明日にて候」 云云とありて、祇園神社なれば、 此の祭神の御子なる八野若日女命を原地へ祭りしことならん。 伊勢の内宮に対する御饌都(みけつ)の神、止由気(よゆけ)の大神を 丹波の国より移し給いし如く、その神に縁故ある神を祭らることは、 他にも例あることにて、矢奈比賣は此らの如く関係神社として此の地に祭られしことならん。
 なおも、他の理由と考えらるることは、八野の神号なり。 『出雲風土記』には「大穴持命將娶給為而令造屋給 故云八野」と。 これによれば、八は借字にて、屋なり。妻ごもりの屋を造れるより、八野の称起れる様なれど、 そは風土記時代の一説にして、此の地の原野に坐し給いし神ゆえ、 八野の若日女と申したてまつりしことならん。
 遠江磐田の原、南北三里東西一里半の原野へ八野の神を祭りしは、 地勢上に於いても関係縁故あることと思わる。
 以上の考を有するゆえに、矢奈比賣神は八野若日女神にましますなりと信ず。 うらがえして要を云えば、 『出雲風土記』は『山城風土記』よりは信ずべき古記録なること。 祇園舞車の神事ある神社と父子の関係あれば、 此の地へ祭られしごとし。八野は原野なりし地にてありしならん。 原野なる磐田ヶ原へ祭られしは、此の関係にありしことならん。


凡例

1.底本は、早稲田大学図書館蔵『共古日録』巻十 山中共古手稿本/明治44年(磐田市立図書館蔵コピー/平成9年)を用いた。
1.本文は、底本の使用する旧漢字体・歴史的仮名遣を、新漢字体、新仮名遣に改め(但し、引用文は、底本のままとした)、句読点を施した。
1.本文中において、他本より引用された箇所には「」を、書名には『』を施した。
1.本文中において、編者が補足した箇所は< >を施した。



注釈

 山中共古著『共古日録』は、 『共古日録抄 附總目録・絲印譜』 日本書誌学体系15(広瀬千香編/昭和56年)として内容の一部と全見出が刊行されている。 「矢奈比賣店天神考」・「矢奈比賣天神考のニ」は当該書、 目録の部に見出のみ挙げられている。


明治44年  山中共古
(平成9年・後藤敏完編)

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