重要無形民俗文化財 見付天神裸祭
個人情報の取扱交通のご案内お問い合わせ  
先頭頁 > 体験記 > 見付天神裸祭体験紀行(平成12年)
見付天神裸祭・体験記
見付天神裸祭体験紀行

 

今年の見付天神裸まつりは例年よりも早い8月27日、おみしばさま、8月31日、浜垢離、9月2日〜3日、例大祭のスケジュールのため、残暑厳しい中での催行でありました。

  7月から転勤という環境変化のため今年は(参加は)無理かと危ぶまれたが、そこはまつりきちがい、年に1度のIKU氏や去年から写真専科でお世話になっているW氏に会いたくて、またぞろ放浪の虫の騒ぐ我が身かな。

政宗の詠んだ五言絶句で有名な・・・馬上少年過 世平白髪多 残躯天所致 不楽是如何の一節はまさにまつきちの今の心境を示しています。
  直前、長野のk・kくんや東京の孝充くんらメル友を幾人か誘うも皆、日程が合わず、単身出仕と相成りました。

  IKU氏より「今年もお待ちしてますよ。徳島県からも一人見えますよ。」という知らせを受けて、一喜(一憂?)ではありましたが、あの狂気乱舞の鬼踊りに今年も酔いしれたくて、9月2日、15時17分、新大阪駅発、ひかり124号にて出発しました。

  途中、名古屋でこだまへ乗り換え、浜松経由磐田駅着、18時06分。昨年まで工事中だった磐田駅前もきれいに整備され、見付天神裸まつりの豪華なポスターがひときわ目に付きました。中年の腰ミノ姿の裸男大写しの今までにないすばらしいものでした。

  駅前から磐田営業所行き遠鉄バスに乗り約15分、R1号線沿いを新通町下車、徒歩1分でIKU氏宅、午後6時半頃に到着しました。

  IKU氏宅も来年から市街地整備(道路拡幅)のあおりで移転を余儀なくされているとか、はたまたIKU氏ご自身もご転職なる環境変化もさることながら、いつもと変わらぬ気安さで出迎えてくれました。なんとも有り難いことであります。

  すでに、静岡からW氏、徳島から珍客も見えており、接待係を自認するM氏の
「よぉ、来たね。」
「お世話になります・・・」

  いつものお仲間は今年は至って少なく、3分の1規模に縮小気味。しばし、歓談。心尽くしの酒宴を囲み、一時を過ごす。

  8時すぎ、いつものように新通町自治会館へ向う。

  IKU氏は警固長として今年もやはり別行動でありました。今年から浜松辺りの無法者?を閉め出すためにはじめて警察当局が入り、IKU氏は民間人の一人として指揮を取る重要な役割を担われるのです。これも時代の趨勢かと驚きもし、やむを得ないことかと同情を禁じ得ません。

  他所からの参加が増えると祭りが廃れる・・・などと揶揄される誹りは他場所でも聞かれ、警察の介入は珍しいことではないものの、この見付にもその波が押し寄せてきたとは夢にも思えませんでした。自分もその一人かと思うと複雑な心境ではありますが、助っ人という自覚をもって、郷に入れば郷に従えのマナーは最低守っていただきたいものです。

  8時15分、集合場所の自治会館へ到着すると、やはり近郊の町内の顔見知りという方で龍宮社の万燈を掲げる役の好男子がひとり待機しておりました。
それからお年寄りが二人ばかり、この若者にわらじの着け方をご指導されている最中でしたが、まつきちにはかまってもらえず、W氏に国府宮の締め方で褌を締めるのを手伝って頂きました。

  持参の黒足袋を履き、IKU氏に調達してもらった腰ミノとわらじを着けて、頭には「龍宮社」文字入り手拭いを巻き、玄関先に降りると、8時30分すぎ、新通町内の裸衆たちが集まってきます。

  お馴染み松村氏、中村氏、守谷氏の顔も見え、会釈を交わす。昔懐かし停車場にふる里のそを聞きに行く心境にて、想い想いに談笑に耽る一時でした。

  白丁にたすき掛けのIKU氏も揃い、茶碗に清酒を一杯ひっかけて、8時45分には会所をあとに、町内巡行に出発しました。

「さあ、行くぞ!」「おお!」
「オッショイ ォッショィ オッショイ ォッショィ」

  掛け声の割に元気がないな。今年は!それに駆け足もなく、ヒタヒタ歩くのみ。ところどころ立ち止まって背中合わせにもみ合う姿も例年(いつ)になく迫力不足。繰り出す人数も随分少なくて、活気が今一つ感じられません。
振る舞い酒も去年よりはぐんと少なく、拍子抜けではありましたが、これはまだ夏の暑さが残っているせいなのかもしれませんね。ところどころで掛けられるホースの水がかえって心地よく感じるほどの熱帯夜に全身ぐっしょりと汗を滲ませる。

  走った距離も去年の半分ほどでもう見付本通りの大群衆に合流してしまいました。ものすごい数の梯団なれど、龍宮社の万燈を見失うこともなく、前締めたちでぐるりを囲まれた輪の中で踊り狂う練り子たちに押され押し返して西へと進む。加茂川沿いでとって返して今度は東へ進む。総社をお詣りして、さらに東進。天神社を通り過ぎて、舞車の納め所を右手に見て、愛宕下東坂町を上っていく。沿道からはいたるところで散水の帯が連なる。喉が乾く余り、その水を飲みに行く裸も多く、おもわず雨乞いがしたくなるようなうっとうしくもけだるい夜でした。

  三本松御旅所、R1号線へ合流するT字路辺りでUターンする手前、列をなして、梯団を先導してきた各町の万燈とすれちがい、やがて折り返して、また来た道を下っていく。

  天神社前の鳥居を右折すればいよいよ堂入りとなる。踊り場には先に入場している梯団を押し込んでいくために、まるでJRのラッシュ並みの混雑ぶり。拝殿構内中央天井から勢いよく吹き出すスプリンクラーの水もぬるむ熱気に裸男たちは皆、上気して乱舞している。肩車の二人一組の踊り子たちが汗腺を大きく拡げ、まるでサンタンオイルを塗ったかのようにテカテカに素肌を照らし、紅潮した顔面が男の逞しさをなお一層ひきたてる。

  ああ、なんという快楽、なにしおう恍惚。リズミカルに唸るオッショ、オッショの地響きにアレイ型した鈴持ちの激しく鳴らすシャンシャンの音が見事に調和して一種独特な雰囲気を醸し出す。

  やがて、輿番、そして〆切りが堂内の裸の群れに分け入りざま、拝殿奥の神輿の御座所でじっとたたずむ。

  途中、荒れ狂う鬼っ子たちとぶつかり、尋常ではないようす。一瞬、役付きの進入のため、無理矢理分け入ってできたはずの空間もすぐに練り子たちで跡形無く閉ざされ、なおも激しく鬼踊りが続けられる。
  そうこう、スプリンクラーの水も止まり、もうもうと肌からたちのぼる蒸気で周りはむせかえっています。さかんに肩車が入れ替わり立ち替わり堂床をドタドタ踏み鳴らし、燃え尽きんばかりの乱舞狂舞。堂の周囲ではじっとみつめる裸衆や傍観者たち。観覧の女性たちからの黄色いキャーキャーの声援に一層若者たちはハッスルしている。まさしく世紀を越えてこの祭りが存続する鍵はこの若者たちが握っているのである。

  突然電気が消され、真っ暗闇となる。御輿の通り道をつけようと〆切りたちが踊り子らを制しようとするが、興奮の絶頂とみえてなかなか掻き分けられぬ。まつきちも御輿を追っかけ体勢につこうものと裸衆たちをかわし、お堂の正面へ移動しようとするも押し返されてなかなか前進できぬ。

  ああ、じれったいな。昨年のようにはすんなりといかないな。御輿が動き出した(ようだ)。闇で何も見えぬ。しばらく動きがとれない状態が続き、前のめりに転けそうになるのをじっとこらえる。御輿が出るのにかなりの時間を要した。

  ダダダダ・・・ダ、いよいよクライマックス、御輿渡御のはじまりだ。あっという間に天神社をあとにして、坂下へ転がり落ちていく。先を越す追っかけに阻まれてまつきちは後塵を拝すも、御輿は坂下で先供の掲げ持つ松明の清浄を受けるが為、一時停止するのを知っているので、前を掻き分け掻き分け、いつしかまつきちは追っかけの先頭となり、目前の〆切りの持つ榊に叩かれ、痛いのなんの。いやはやその鞭のようなしなりに身をのけぞらすのがやっとの思い。我が先を行く漆黒の御輿の陰影をこそなんとか凝視はできたが、これまでに見てきたような上下に小刻みに揺れる優雅さはなく、横にぶれたり前に落ちたり、どことなくギクシャクしていた。ついど御輿の姿が見えなくなった。それまで〆切りたちに押し返され、しばかれていた一団が足止めを食っている間に御輿は一目散に前進していったのだろう。〆切りたちの妨害がなくなくなると、堰を切って追っかけは走り出す。

  100mダッシュのように全速力で駆けるも2〜3分は追いつけない。やっと見えた御輿のシルエットは相変わらずギッコンバッコンを繰り返し、小刻みに揺れる優雅さはどこにもなかった。

  総社の入口で渋滞している。御輿は完全に一団に追いつかれ、〆切りが榊を振り下ろして追っかけたちを御輿に近づけまいとするも無駄な抵抗。完全に御輿は一団に呑まれてしまった。

  御輿が疾走して追いつけなかった、最初に参加した4年前とは隔世の感なきにしもあらず。見付の御輿もお江戸の御輿と変わらなくなってしまいましたね。つまり、担ぎ方が下手になったということです。

  お江戸の御輿はよそ者が多くなってのことですが、見付もそうなのでしょうか?そんな事があろう筈がありません。少なくとも輿番たちは地元の猛者たちなのだから・・・。今回のまつきちはいささか気のおけない同行者の出現もあっていたって辛口なのだ。祭りの主催者さん(特に、IKUさん)ごめんなさい。IKU氏に今年も紀行文をとの催促にずっとためらっていたのもそのせいです。今年は暑さのせいで本通りを走る間に腰ミノを外して手に持っていたので、〆切りが打ち下ろす榊を防御するには格好の道具となり、総社拝殿手前の長い渋滞もむしろ退屈することなく待つことができました。

  お通夜の行列のようにしづしづと進む御輿もやっとのことで総社の御座所に納められると、一同拍手のうちに、空砲の花火が一発二発打ち上げられ、お渡りの終了を告げました。次々に腰ミノが構内に積み上げられて、引き返して総社入口鳥居を左へ。最初の十字路を右折。拡幅工事のおかげで広くなった12m幅の道路なので迷うことなく、信号を何箇所か横切り、R1号線を渡ると三洲屋さん。そこを通り過ぎて左折して50m進むと左側に祭り提灯を翳す自治会館(新通町会所)へと辿り着く。なんとまつきちは一番乗りでした。去年よりも半減した町内からの裸衆たちのご帰還は10分ほどあとでした。

  松村氏から、
「ご苦労さん、今年は迷わなかったかい?」
「は、はいっ・・・」
(もうこの人はまつきちが遅還の常習犯だと思い込んでいるらしい。)

  まっ、いいか。ビールを1缶よばれ、折り畳み椅子に腰を掛け、町内の皆さん同士の談笑が子守歌のように聞こえ、このところの環境変化がもたらす蓄積された疲労がビールとともに全身に溶け込んで、アンニュイな気分に浸っていく。

  例の徳島県人は道に迷っているようで、IKU氏もまた終日警備のためにご用繁多でありました。

  1時半には銘々が戻り着いたでしょうか。もう1本、もう1本とビールをよばれ、日本酒も頂くうちにすっかり酩酊の域に達し、最後の手締めもなくダラダラと気の向くままに皆、解散していきました。

  IKU氏のそろそろ(IKU氏宅へ)戻ろうかとの暗示をきっかけにして、玄関先でわらじを脱いで、会所へ上がり、奥座敷で下帯を外して服に着替えて外に出た。

  会所をあとにIKU氏宅へ戻ると誰もいない。例年ならM氏はじめ何名かの賓客が雑魚寝している居間には今年は誰一人も残っていなく、全員帰っておられた。

  「これから二番触れの二番町へ反省会に出かけるが、一緒に行きますか?」・・・「はい、喜んで」・・・まずはIKU氏が電話で先方のアポをとり、余った?料理と缶ビール十数本持参で二番町へ。

去年と同規模の・・・でもお顔は覚えてないせいもあるが、随分違うような・・・後藤氏もいません。

  それぞれが雑談しあっていて、がやがや、まるでふる里の停車場にそを聞いているようで、焦点の合わない一眼レフのカメラのような話題は、会所での酩酊も手伝ってか、まつきちの興味を完全に薄れさせ、いつしか夢の世界へ誘われる。瞼が何度も裏返ってしまい、騙し騙しの酒も次第に受け付けず、もうこれまでとギブアップを宣告。

  IKU氏が、「うちの家に戻って寝ますか?」・・・「よろしくお願いします。面目ありません。」・・・一旦、まつきちをご自宅へ引率され、IKU氏と徳島県人はまた元の二番町へ戻っていかれた。誰もいないIKU氏宅の居間でまつきちは一人爆睡するのでありました。午前4時は過ぎていたと思われます。

  翌朝8時すぎ、起きても我一人。IKU氏等の姿もなく、ただ玄関の錠前開け放しておく訳にはいかず、「おはっ。おはようございま〜す。奥さん、すみませ〜ん。起こして・・・ありがとうございました。これで失礼しま〜す。」奥の座敷で一人ご就寝のIKU氏夫人を呼び起こして、玄関先で、この鍵はこうして・・・ってペンチで挟んでぐるぐる回転させて開けてくれる。

  もうこのお宅も来年からはないのだろうか(そうIKU氏がおっしゃっていたような・・・)アンチック(失礼!)なご自宅もこれが最後の見納め・・・かと思うと心なしか立ち去りがたい。振り向いて鴨居をじっと眺めて脳裏に焼きつけてました。

  千代に八千代にさざれ石の・・・苔の蒸すまで・・・IKU家のますますのご繁栄を祈念申し上げて見付を後にしました。

  帰りの浜松から名古屋行きのこだまの中に磐田駅前で買った名産・粟餅を置き忘れ、途中下車して名古屋駅構内の忘れ物届け出コーナーで待つ間のタイムラグ・・・車庫に入庫のこだま4号車から粟餅無事生還!・・・ルンルン気分で大阪は守口到着はなんと午後2時を過ぎておりました。

平成12年9月2〜3日・まつきち


(この紀行文はIKU氏からのご要請にもとづき着手しましたが、もうすでにまつきちホームページを平成12年8月18日でもって閉鎖しました関係から、IKU氏のホームページへの投稿として掲載させていただいております。)

・・・お・わ・り・・・

この頁の先頭へ


見付天神裸祭 先頭頁へリンク