重要無形民俗文化財 見付天神裸祭
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見付天神裸祭・体験記

僕の見付天神裸祭り

 毎年、秋になると児付天神裸祭りの季節がやってくる。この祭りの起源 として、しっぺい太郎とい一つ猛犬が怪物を退治したときの住民の歓喜を表現したものだという言い伝えがある。見付28町が4つの組に分かれ、街道を練り回る男だけの祭りだ。提灯や鉢巻には祭り組名が書かれていて、 僕の組名は舞車だ。僕は児付の人間ではないが、母の実家が見付で、母は 三人姉妹だったので、男の子がなかった。だから孫である僕がこの祭りに 参加すると、母の父、つまり祖父がとても喜んでくれる。それと僕がこの祭りに参加する理由はもう一つある。祖父の母親、つまり陰の曾祖母が裸祭りの日に結核で亡くなったのだ。だから裸祭りの日は祖父にとって、忘れられない大切な日だった。

 55年前のお祭りの日、祖父たち兄弟3人は腰みのをつけ、頭に舞車 の鉢巻をして、お祭りの仕度をすませると、母親の様子を児に枕元まで行っ た。当時結核は不治の病と言われ、病気が移ることを恐れて隔離されてい た。お蔵の二階を改造して、そこに布団を敷いていたらしい。
「私のことはいいからお祭りに出ておいで。」
そう母親に言われ、3人でわらじを結んでいると急に母親が苦しみ出してたらい一杯の血を吐き、その夜帰らぬ人となってしまった。38歳だったそうだ。当時祖父は中学3年生。小学校6年生のとき、すでに同じ病気 で父親を亡くしていたから、祖父は僕と同じ年で両親を失ってしまったことになる。このときから裸祭りは、この家にとって他の家とは違う意味で 特別な日となった。兄弟3人は大人になっても毎年お祭りには集まって、 練りながら昔のことを思い出した。泣くぐらいなら強くならなくてはと、 生きてきたそうだ。

 僕は中学1年生のときから大人連に参加している。大人連は夜の9時から始まる。各町内に設けられた会所に集まると、もうそこからは男だけの 世界だ。最初の年は、とても緊張したのを覚えている。僕は母の姉の長男、 つまり従兄の貴之君と参加した。警固長という役目の人から、
「今日は中学1年生2人が新しく参加してくれた。皆で守ってあげるように。」
という僕らの紹介があった。途中、町内の人がひょいと僕を肩車してくれ た。さっき会ったばかりなのに、とても温かいものを感じて嬉しかった。 僕はずっと舞車の男の人たちと見付の通りを西へ東へ練り歩いた。余分な ことはいっさい言わずにただ「オイショオイショ。」と掛け声をあげて練 り続けた。女の人が僕らをうらやましがっているように思えた。

 祭りのあと「今年の祭りは若い2人の参加により、大人たちも手本を見 せようと行動し、実に活気があふれた、よい祭りだった。」という話を聞 いた。嬉しくて、なんだか照れくさかった。

 あれから僕は15センチぐらい背が伸びて、誰も僕を肩車しない。淋しい気持ちもするが、なんだか一人前になったようで嬉しい。

 午前零時になると各集団が一団となって天神社のお堂の中で鬼踊りが行 われる。雑踏の中でわずかに身体が触れただけで恨むような視線をよこさ れる今の世の中だが、ここでは蹴られようが、足を踏まれようがとがめる 人はいっさいいない。これが男なのだと思う。

 現代は看護にも保育の仕事にも男の人が携わっているし、僕の所属する 柔道部にも女子が多い。僕らは本当に男女平等に育った。唯一、僕が男に 生まれたことを自覚し、誇りにさえ思えるのは裸祭りのときのような気がする。

 見付地区の中学生の祭りの参加が年々減ってきていると聞いた。700年前から続いている伝統あるこのお祭りに誇りをもって、見付地区の中学 生も参加してほしいと思う。加えて僕は、祖父にとって特別な日であるこ のお祭りをこれからも大切にしていきたい。

南部中 山内啓嗣


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