〔とんでもないビジネスチャンス〕
ここで僕はとんでもないビジネスチャンスを発見したんです。
不動産業は落ち着いていました。僕が今申上げている話は、
昭和59年という時代の話なんですね。
昭和59年。間もなくあと四五年でバブルの崩壊へ向かう、
所謂絶好の景気のピークへ向かう、
そういう時代の頃だったんです。そして、昭和58年には厚生省から、
65歳以上の年寄がもう間もなく、
人口の四分の一を超えるというデータ-が発表されました。
お年寄の問題は、特殊な可哀想な不自由になった人々の問題ではない。
もう、国民の四分の一を巻き込む問題なんだというデータが出ました。
そして、介護する家族の問題というものも、
これからは、もっと大きな問題なのだという事が発表されました。
日本中儲かっている時代です。そして、
20世紀最後のビジネスチャンスとして、
この高齢者分野がみんな注目してきたとき、
それが丁度昭和59年なんです。
僕はそこに不自由になった一人として、
患者として、そしてお客さんとして、病院の門を潜ったんです。
そこでやられていた事は何か。
騒がれているわりに、注目されているわりに、
社会正義が有って、20世紀最後のビジネスチャンスと言われる、
こういう不自由な方々、お年寄、そして、介護する家族の現場は、
ろくな商品も、ろくなサービスも無いじゃあないかという、
愕然とした事実だったんです。そして僕は発見したんです。
ここにはお客さんいないよ、ということを発見したんです。
僕は4年振りに病院へ行きましてね、
久し振りに行った病院ですからもう様変わりしていました。
そして、外来は木曜日の1時だと言うので、
木曜日の12時頃に行って、早く行って早く済まそうと思っているのに、
1時から外来で待っているのに、4時になっても僕の名前を呼ばないんです。
3時間も待っているのに。
そして、僕の前を丁度白衣を着た青年が通りました。
僕のように病院の関係者ではない者から見ますと、
白衣を着た人はみんな先生に見えるんですね。
後で気が付きますとPTという理学療法士でした。
そして僕はその先生に
「先生、私、春山と申しますが、
かくかくしかじかで、もう3時間以上も待っているんです。
何か手続間違ったんでしょうか。」
と聞きましたら、
その僕より年下の、白衣を着た青年は何を勘違いしたのか、
僕にこう言ったんです。
「ん?、あんた春山さんいうた?ここでまっときや、
ちゃーんと看護婦さんに言うとったるからな、
ここでまっときやー」
友達みたいにしゃべってるんですよ。
おかしいなぁ、僕はこいつと友達じゃないのになぁ、
何だかおかしいなぁと思ってたんです。
そしてまた30分程して、僕の名前が呼ばれないんで、
その青年がまた忙しそうに僕の前を通りました。
そして、
「あのう、先ほどお尋ねしました春山と申しますが、」
と、僕が尋ねると、彼は僕の言葉をさえぎりまして
「ん?ここにおりや、ちゃーんと看護婦さんに言うてあるからな、
ちゃーんとここにおりや」
まるで子供をあやすように、乱暴な言い方をするんです。
僕はここでカチンと来てしまいましてね。
病院流にものを申すと、僕は不自由な患者です。
だが、僕は病院の門を出ると不動産業のオーナーという、
外部からは社長と言われている人間です。
こういう扱いには我慢ならないんです。
人間の尊厳を頭からなしくずして、
そして僕は不動産業をやっていますから、
啖呵の一つも知っているんです。
ついつい本性が出てしまいまして、
この時、こういう扱いを受けたものですから、僕はこう言いました。
「おい、お前誰にもの言うとるんじゃ」
この青年はハッとしたんです。
「お前は少なくとも俺より年下だぞ、年上の者が年下に向かって、
初対面で、当たり前の敬語でものを尋ねてるのに、
なんちゅう口のきき方をするんじゃ、このボケ」
ま。今日は子供達もいますんで、
こんなあんまり悪い言葉を教えてはいかんのですけれどね、
ただ、やっぱり現場を再現するために、当時言った通りに申上げます。
そして、その青年はハッとしたんですね。
そして真っ青になって
「済みません」と謝りました。
すると、僕が大騒ぎしているものですから、
ドクターや看護婦がザワザワザワーと集まって来ました。
そして、「なにかありましたか?」
喧嘩でも起こったんだと思ったんでしょうね。
その時僕は、
何かありましたかとリーダーらしいドクターが僕に尋ねたものですから、
僕はこう言いました。
「話にならん、お前んとこの病院はどういう従業員教育をしとるんじゃ」
僕にとっては従業員なんですよ。医者も看護婦もね。
みんな錯覚しているんです。
医者や看護婦達は不自由な方々をケアして、その診療報酬というもので、
お給料を貰っているんです。不自由な方々や家族がお客さんなんです。
ここにはお客さんいないんじゃないかと思ったんです。
そう言えば全国の老人ホームなどで、お年寄に対して、
子供のような言葉遣いをするヘルパーさんや職員の方々、
いまだに沢山います。
例えばお年寄が食べこぼしてるのを見て、
背中を叩いて
「食べこぼしたらいかんじゃないのー」とか、
孫のような年の離れたヘルパーが、人生の大先輩に向かって、
こう叱責している光景、いまだに日本に沢山有ります。
ただ、僕は今から既に、13年前に、こういう光景に出会って
「何かおかしいぞ」と思ったんです。
騒がれているわりに、注目されているわりに、社会正義が有って20世紀最後のビジネスチャンスと言われているわりに。
そしてもう一つ発見したんですね。
いろんな企業がお年寄の分野に乗り出してきております。
ところが、彼らがマークしているのは不自由な方々じゃなかったんです。
お医者さんだったんです。
お医者さんにおべっかをして、そこで用度として認めてもらおうとか、
そして、医事課の課長におべっかをして、そこの病院の備えつけ商品として、
決めてもらおうとか。
福祉事務所を回ってあの担当小役人に頭を下げて、カタログを置いてもらおう。
一言で言いますとね、水道の蛇口を捻る権利の有る人ばっかりにおべっかをして、
その蛇口から流れる水を飲む、不自由なお年寄や、介護する家族を誰もマークしていなかったんです。
しめた、僕は難病になってとんでもないものをなくしたけれど、
難病になってとんでもないビジネスチャンスを発見したんです。
やるからにはお客様サイドに立った本当に喜ばれる究極ののサービス業を作ってやろう。
という目的でスタートしたのが、僕の現在のハンディネットワークインターナショナルという会社のスタートでございました。
僕はこの11年間、13年前にこの出来事と出会い、11年前に日本で初めての福祉のデパートというものを、
大阪の道頓堀に作りました。
今で言う介護ショップですね。
この磐田にもあるかと思います。
今全国でも3,000店を超えています。その第一号店の大型デパートを、
大阪の道頓堀に作って、この医療福祉という現場を専業に
この11年間歩んでまいりました。
ただ、僕はこの11年間、本当に歩んできて良かったなと思っています。
それは、本当に喜ばれながら健全に儲かるビジネス。という考え方を、
今日本は段々段々受け入れてくれるようになって参りました。
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