〔嬉しかった思い出・辛かった想い出〕
ただねぇ、そんな僕にも辛いことが沢山有りました。
どういう辛い事かと言いますと、 実は子供が、下の子供がですね、 下の子供が幾つの時かと言いますと、下の子供が保育所から、小学校一年に上がった頃でした。
僕はこの頃、今の自分で設計した家を建てまして、引っ越しました。 環境が変わりました。
そして、子供にとっては、新しい友達が出来ました。
そして、保育所から小学校という、一つの生活ステージが変わる中で、 運動会がありました。 そして、運動会の日、僕は当然行く、もうずうっと運動会は欠かした事がありません。
ところが、子供が何かボソボソ言うんですね。 下の子供が、龍二というんです。 龍二がボソボソと言うんです。 「お父さん、明日運動会来るの」
「行くよ、龍二頑張れよ、お父さん応援するからな」 そうするとボソッと言うんです。 「おとうさんが車椅子で来たら、友達に変と思われへんかなぁ」
ボソッと言うんです。 僕は実はギクッとしました。 ギクッとして答えられなかったんです。 そうすると女房が横で、 「大丈夫大丈夫、龍ちゃん何を言ってるの。ほんなもん、お父さん何も変と思われへんよ、お父さんは飛行機に乗って日本中行っているし、
色んな人とお仕事しているし、大丈夫大丈夫、」 女房はあっけらかんです。 ただ僕は、胸に短刀を突き刺された気持ちだったんです。 こういう日が来たなぁと思いました。
ギクッとしました。 子供の中に実はそういう気持ちも芽生えてたんですね。 そしてその日お風呂の中で僕は女房に、珍しく弱気になりまして、 「俺、明日行くのやめようかなぁ、龍二あんなこと言ってたなぁ」
と言いましたところ、女房が、 「何言ってるの、大丈夫大丈夫」と言うんですね。 ただ翌日、僕が行きまして、そして例によって、一番前に陣取って、
「龍二!」と大きな声を掛けました。 はにかみながら、うちの坊主は背が小さかったものですから、 一年生で先頭を切って、歩いて行きながら、僕が「龍二!」って声を掛けるのを聞いて、
ニヤっと笑って、そしてそれからは、もうあの時の運動会の思い出、入場行進の思い出、 一つとって小さな出来事ですけれど、 僕にとってこういう小さな壁は沢山あります。
親と子の生活というものは、僕は戦いだと思っています。 そういう戦いの中で、親は親として、偉そうな顔をしていますけれど、 みんな親をするのは初めてなんです。
子供だけが初めてじゃないんです。 親も初めてなんです。 その中で如何に、僕は自分の家庭の中で、 真剣に向き合いながらそれでも生きて行く人間の尊厳というものを、
子供達に見せ続けて行きたいと考えております。 嬉しかった思い出をもう一つ言いますね。 上の子供が自転車をのると言う時、僕は手も足も出ませんから、
子供達には何もしてやれません。 ただ心の中でいつもこう決めてたんです。 俺はお前達にキャッチボール一回教えてやれない。海へ行って水泳一回教えてやれない。
ただ、お前達と共に生きながら、 だけど、父さん、よく頑張ってたな、と、若し僕に万が一の事があって、そして早くあの世へ行った時に、 子供達の中で、だけどうちの親父、なんだかんだ言いながら
よく頑張ってたな。そういう思い出だけが子供の中に残れば良いと、僕はそう思っています。 幼稚園の頃子供が自転車に乗るようになりました。実はうちの女房の実家が自転車やでして、
おじいちゃんが未だに、もう80歳になろうというのに、 小さな自転車屋でパンク貼りや色んな小さな商売をしています。 そして、子供の誕生日に今年は哲ちゃんに自転車をやるよと言って、
おじいちゃんからのプレゼントで自転車が来ました。 僕はまだ早いだろうと思ってたんですが、子供は夢中です。 ところがコマを付けて、段々段々コマでは乗れるようになりながら、
今度はコマを外してくれと言う事になりました。 だが、コマを外して中々上手く乗れません。 そして、お父さん、自転車教えてって言うんです。
僕は弱ったなと思ったんです。 それから、わかった、哲っちゃん、下へ行こうといって家を出まして、 家の前が大きなエントランスのホールになっていますから、
そこで、マンションだったんですね、その頃は。 そして、そこで、哲っちゃん、お父さん、良い方法あみ出すからな。 一と言ったら右足を上げ、二と言ったら左足を上げ、と言いながら、本当は僕が後ろで自転車を持ってあげて、
走り回れれば、恐らく直ぐに乗せる事が出来るんですね。 僕も小さな頃から自転車に乗っていました。 スポーツは僕は比較的万能な方でした。 ただ、悔しいという思いを自分で出さずに、
どうやって子供に自転車を教えるかって考えてみたんです。 そうした時に口しかありません。 口と目しかありません、僕には。 そして、一と言ったら右足やで、ニと言ったら左足やで、と言って、そして、一、ニとやります。
子供はバーンとこけます。 すると、お父さん、できゃへん、と言って、また僕の方に来ます。 もう一度やってみよいうて、いち、に、いち、にと言うとまたこけました。
それを5回も6回も10回もやっていると、 子供が段々いやになって来るんですね。 そして、お父さん、もう、そんなこと言ってもわからん。と言いながら、
子供がイライライライラして来ます。 ただ僕はそこでもう一つアイデアを出しまして、 いち、に、さんと言うのを作ってみたんです。 いち、に、さん、さんで思い切り押せ。
大体3歩目ぐらいでふらつくということが見えて来たんです。 いち、に、さん、いち、に、さん、と言うことでやってみたんです。 そうすると、フラフラフラフラしながらも前へ行き出したんです。
その調子その調子と言うことで、 いちにいちにと声を掛けると、ずぅーっと向こうまで行きます。 そして止まりました。 そして大声で、もうご近所にみんな聞こえるように、
「お父さん、乗れたぁ」 と言うんです。 「こっちへ来てみぃ」と言うと、 子供はまたいちにと僕の掛声に従がって、 こっちへ戻ってきます。
そしてもう子供の目は生き返ってます。 今度は向こうへ行って止まらず回って来ると言って、 「お父さん、後ろから掛声かけてよ」と言って、 僕が、「いくでぇ、いち、に、いち、に」と言うと、
ずぅーっと行って、一周して僕の所へ帰って来ます。 そしてこの時子供はこう叫んだんです。 「自転車に乗れたぁ。お父さんに教えてもらった。」
と、大声で叫んだんです。 僕は本当に嬉しかったんです。この時。 辛かったこと、キャッチボールを教える時です。 さっき申し上げましたように、子供が野球に興味を持って、
その後サッカーに興味を持ちました。ただ、野球に興味を持って、 グローブとバットとボールを買ってやりました。 そしてある時帰って来たんですね。
そうすると、べそかいてるんです。 僕に似た子供のせいか、もう、一つの事をやると夢中になるタイプの男の子です。 そして、べそかいてるんです。
上手く投げられない言うんです。速くは投げられるんだけれど真っ直ぐ飛ばない言うんです。 そして、お父さん教えてって言って、そうすると僕はまた一緒に表へ出て行きます。
そして、右手をこうやって、口だけでコーチするんですね。 これは自転車よりもっと難しかったんです。 そして、前、こうやって、ここで肘を伸ばして、
僕が体が動いたら、もう自分で手取り足取りしてあげるのになぁ、というもどかしさがあったんです。 ところが何度やっても野球は上手く行きませんでした。
そして、速くは投げれるのにあっちへ行ったりこっちへ行ったり。 そのうちに、恐らく僕の声も苛立ってきてたんでしょうね。 「違う、哲っちゃん、何回言うたらわかるんよ」本当は教えてあげないかんのに、
僕がこの子を叱りだしてたんです。 「違う、もっと、さっき言ったやろ」 とか言いながら、教えてあげてるんじゃなくて、 自分の苛立ちを子供にぶつけだしてたんです。
子供はそれを感じ取りまして、 途中で泣き出しました。 そして、女房が飛んできまして、 「哲っちゃん、もう一度やってみぃ。」 哲ちゃんは、「もういやや!」と言ってグローブをパッと投げました。
そしてこう言ったんです。 「何でうちのお父さんだけ、キャッチボールを教えてくれへん、ケンちゃんのおっちゃんなんてねぇ、 僕の手を持ってねぇ、こうやって、こうやって教えてくれた。」
と言うて、僕の手を握って、僕がボールを投げるようなポーズを、 うちの子供がしたんです。 「なんでうちのお父さんだけ野球を教えてくれへん」
言葉が無かったです。 そして、「まぁ、まぁ」と言って、女房が子供をなだめて家の中へ連れて行きました。 僕は、この時は泣きました。 表で、一人で暫く泣いていました。
ただ、ジーッと泣きながら自分の気持ちの中で決めたんです。 キャッチボール一回教えてやれない。 海へ行って水泳一回教えてやれない。 ただね、それでも俺はお前の親父だ。
やれないことは沢山ある。 ただね、お前にして上げることは、 この体で全て受け止めて、 親としての役割を果たしてやるからな。 僕はその時心の中で決めました。
そうやって、我が家の戦いは、 楽しみながら今も進んでいます。
|