〔教育について〕

 もう一度皆さん、教育と言うものをそんなに難しく考えないで、 足元において考えて見ませんか。 養護学校で実はこういう思い出があるんですよ。 実はさっき、PTAの方々に申し上げたんですが、 僕は1年間に百回以上の講演をします。 ほとんどがビジネスレクチャーです。 いろんな企業の活性化であるとか、 例えば中小企業同友会であるとか、 経団連であるとか、トヨタであるとか、東京海上であるとか、 大塚製薬であるとか、 僕はビジネスと言うものでほとんどの講演を行います。 この他に、うちのディーラーさんが115社もいらっしゃって、 この浜松の地にもいらっしゃいます。 このディーラーさんのための、活性化であるとか新商品の開発であるとか、 いろんなことで僕はいつも東奔西走しております。 ただ、僕は、学校での講演というものは、今日が初めてなんです。 若し、教育関係の方々に対する講演が今までにあったとしたら、 実は、養護学校なんです。 ある時、僕にこういう依頼が来ました。 養護学校の校長先生から手紙が来まして、 進行性の筋ジストロフィーの子供たちがいる重度の養護学校なんです。 そしてそこで、僕のことをニュースで見たとかテレビで見たとか、 そうやって子供達から、春山さんを呼んでくださいと、生徒会で決まったらしいんです。 そして子供達に、頑張れば春山さんのように、チャンスもあるし、もっともっと色んな可能性があるんだという事を、 子供達に見せてやってください。」 僕は、勿論引きうけましたけど、 ただ、どうしゃべろうかと思って、 そして、今日このようなかたたちで、講堂に子供達に集まってもらいました。 実は先生方から言われたんです。 高学年と中学、高校、全部集めます。 ただ、ほとんどの子供達、非常に状態が悪いので、 1時間半も聞ける子供はいないと思います。 途中で退席する子供もいます。 そして、あと、一応質問の時間、春山さん、設けてやってください。 ただ、ほとんど質問は出ませんけどね。 と言われたんです。 そして僕は子供達に、自分のありったけのものをぶつけてみました。 そして、なんと、退席する者なんて一人もいなかったんです。 それどころか、会場を見てびっくりしました。 三分の一近くが車椅子にも乗っていません。ストレッチャーです。 自分で呼吸をしていません。 喉を気管切開して、人口呼吸して、恐らく後二,三年で死んで行く子供達です。 そういう子供達が体育館に二人いました。 そして、講演が終わりまして、 先生が、誰か質問があるのかと言ったら、 手が上がるは上がる、色んな質問が来るんです。 これには先生もびっくりされまして、 そんな中でこういう質問があったんです。 春山さん、一つ教えてください。 僕は春山さんのように表へ出て色んなことがしてみたいんです。 頭の良さそうな子供でした。 もう今は亡くなりましたが。 ただ、自分はコンピューターやってます。 コンピューターをやって一生懸命、 何か仕事がしたいんです。 こういう質問です。 そして、次にこう言ったんです。 ただ、表へ出て自分は色んなことをしてみたいけれど、 春山さん、教えてください。 表へ出たら悪い人は多いんですか。 と言いました。「実は、 先日新聞で…」こういう子供達と言うのは、 情報だけはものすごく欲しているんですね。 もう、ガラス細工みたいに繊細です。 そして,頭は一部特化して良い子供もいらっしゃるんです。 そうした時に、この子は、「先日新聞で、障害を負った人が、実は引ったくりに遭ったんだと、 そういう風な新聞記事にものすごく敏感なんですね。 そういうものも見ました。表には出たいけれど、表には悪い人が一杯いると、 春山さん、それ本当ですか。と、こう聞かれたんです。不自由な者を見て、 変な目で見たり、変なことを言ったり、変なことをする者が多くいる。これ本当ですか。 僕にこう聞くんです。僕は答えに迷いました。 ただ、こう答えました。 本当だよ。不自由な者を変な目で見る者もいる。 不自由な者に変なことを言う者もいる。 そして、変な扱いをされる事もあるかもしれない。 それは本当だよ。 ただね、もっともっと何十倍、素晴らしい良い人達が多いんだよ。 僕はこう言ったんです。 今、バリアフリーという言葉が流行ってますでしょ。実は、バリアフリーという言葉を日本に持ってきたのは僕なんです。 日本で第1号のバリアフリーというものを商品コードにしたのが、 今駅の構内に置かれている、あの車椅子の位置でも取り易い自動販売機、 大塚製薬で僕が開発したんですけど、 あの自動販売機に日本で初めて、バリアフリーベンダーマシンという名前を付けて、 今本当にポピュラーになったバリアフリーという言葉を、日本に持って来ました。 ただ、バリアフリーという言葉は、どうも誤解されて日本に通じているんですね。 不自由な人々や車椅子の方々に対する特殊な対応がバリアフリーだと思われているんです。 そうじゃないんです。 本当のバリアフリーというものは、 不自由な人も健康な人も、共に使える共通デザインのことが、バリアフリーなんです。 例えばバリアフリーというものの中で、スロープを付けましょう、という運動があります。 階段を無くしましょう、という運動があります。 これは素晴らしいですよ。ただ、僕はいつも言っているんです。 スロープを付けたって日本中から階段は消えませんよ、と。 ある障害者団体から言われました。春山さん、あなたよくそんなこと言うねぇ、と。 あんたも実際動けない人でしょ、と。 それなのに、バリアフリーという言葉を日本に持って来ながら、 スロープを付けるよりももっと大事な事があるって、それどういうこと。 と、ある障害者団体の方から言われたことがあります。 例えば皆さんね、日本中にバリアフリーが行き届いて、階段が消えたらそれでハッピーですか。 違いますよ。そんなことが大切なバリアフリーじゃないんですよ。 それは形だけのバリアフリーであって、本当のバリアフリーは心のバリアフリーなんです。 だから僕はその時、この養護学校の子供に言ったんです。 「悪いけど僕、悪い人もいるよ、変な人もいるよ、ただね、もっともっと多くの人々が、 素晴らしい人々だよ。」 例えばあなたが町へ出たとしよう。 あなたが町へ出て、そして階段にぶつかったとしよう。 そうした時にあなたは、わっ、ここに階段がある。だから2階に上がれない、と嘆く前に、 通り掛かりの人に、「すみません、僕は・・で、身体が悪くって、車椅子に乗っています。この階段を上がれないので、 お手伝いしてもらえませんか、と、一声掛けなさい。 そうすると、無視して行く人もいるけれど、 多くの人々は、ああ、いいですよ。と、言って助けてくれるのです。 階段というバリアーで、心のバリアフリーが消えちゃうんだという事を僕は子供に言ったんです。 ただ、この子に最後に一言だけ申し添えたんです。 ただね、あなたがそうやって2階へ上げてもらって、 そこで一つの目的が皆の手助けで行われた時に、 あなた、忘れちゃあいけない事があるよ。 それはね、必ず、「どうも有り難うございました」と言いなさい。 よく、障害者問題で、不自由な者の立場を解り、不自由な者に快適な町にしよう、という、要求運動がありますけれど、 僕はこれ余り好きじゃありません。 世の中圧倒的に健康な方々が多いんです。 これでいいんです。 ただ、不自由な者も、若し同じ人間としての尊厳があるんだったら、 自分がなくしたものを嘆くんじゃなくって、自分がなくした機能を、皆で助けてもらったら、 そこで爽やかに、「ありがとうございました」と、サービスを受けた側からお礼を言うんです。 そうすると「いやいや、とんでもない。また何時でも声を掛けて下さい」と、 これが本当の、僕はバリアフリーだと考えております。 子供を教育するという観念の中で、 ひょっとすると子供の存在というものは、その多くは、親の問題かもしれないな、 ということを、僕は障害児の持つお父さんやお母さんを通じて、 多く感じる様になりました。 ひょっとすると、教育という問題は、 子供の問題ではなく、教育する側の問題じゃないのかな。 ということも、疑問になるようになりました。 実は、その養護学校の講演の後、校長先生達が、 「いやぁ、こんなに子供達が熱心に聞いてくれたのは、滅多にないんですよ。」と言って、 僕に、懇親会をやるから参加してくれと言うので、僕も参加しました。 そして僕は言ったんです。 例えば、「今後自分達の教育で、何が必要だと思いますか」という質問を、 たまたま向うの先生から受けたものですから、 僕は一言いいました。 「人間としての尊厳教育をして上げて下さい。」 もう、マシーンとしての、カリキュラムの教育はいい。 一般の皆さん方にはそんなに通じないかも解りませんが、 筋ジストロフィーの難病で重度のこの養護学校は、 ほとんどの子供達が、25歳から30歳で、確実に死んでいくんです。 この中で、人間としての尊厳教育をして、 そして、社会へ出るチャンスを与える教育をして下さい。 この国はいろんなものを、不自由な人・優しさということで、 提供はしてくれるけれど、 チャンスはやらない国なんですね。 物はいい。物よりもチャンスを与える教育。 ある所に辿り着いたら、そこから巣立っていける教育。 こういう、人間としての尊厳教育をしてくれ。と、僕は言ったんです。 例えばコンピューター。コンピューターを駆使して今色んなチャンスが生まれます。 高校のある段階から、義務教育は少し減らしてくれていいから、 専門特化して、コンピューターが出来る子供達は、 それを通じて社会と繋がれるように、仕事が出来るような、そういう教育をしてやってくれと、 いいました。 そうするとこう言うんです。 春山さん、コンピューターを揃えるほど教材費が…」 僕言ったんです。 「若し皆さんがやるんだったら僕一肌脱ぎましょうか」と。 僕はビジネスマンですから、色んな企業と提携があるんです。 色んな企業からの協賛で、この学校にコンピューターを持ってこさせる様にしましょうか。 「いやぁ、そうすると、これは教育委員会の問題で…」 言うんです。 そしたら、PTAの方々にこれを準備してもらいましょうか。 「いやぁ、そういうことは…」 何を提案しても、ダメ、ダメ、ダメなんです。 これではものが出来あがる筈はありません。 教育というものは、 そんなに大上段に構えないで、もっと自分たちの足元、 そして、自分達も親として素人なんだという意識の中で、 共に暮し合う中で、子供とどうやって親と子が育ち合っていくかという事、こういう観点を僕は今要求されているんじゃないのかなと思います。 バブルの崩壊というもので、日本の経済は見事に頓挫しました。 ただ僕はあれをバブルの崩壊と呼んでいません。 あれは戦後の終わりです。 戦後というものがやっと終わって、これから先進国の私達は洗礼を受けて行くんです さあ、日本、立ち直れるかどうか。 本当に今岐路に立っています。 ただね、その中で、教育の崩壊というものも僕は今この日本にあると思うんです。 これのほうが根が深いんです。 若し、アメリカが日本を占領し、敗戦対策の中で大成功したとしたら、 教育を崩壊させたことじゃないのかなと僕は考えます。 家庭という現場から、本当は教育という根幹がなければならないのに、 家庭という現場から多くの教育が消えて行ったんじゃないのかなと、思っています。 色んな医療法人がございますけれど、医療法人でスタッフ、ドクターや看護婦 の養成ということもやります。 その中で僕は、医療法人の方々に、挨拶というものと、15秒間の真実という言葉を教えています。 挨拶とは何かというと、「おはようございます」「こんにちは」「お疲れさまでした」 こういう元気な挨拶が出来ない者が、 どうやって職場を活性化出来るという事を、 僕は、いろはのいの字のようなことを実は医療法人の人達に教えていっているんです。 実はね、皆さん、医療という現場は面白い現場でしてね、 口先だけではみんなサービス業だと言うんです。 お年寄と患者さん方大事だと言うんです。 ところが医療という現場は面白い現場でして、 その口先とは裏腹に、お年寄や家族達に対して、非常に無礼な 態度で行っている所もまだ多いんです。 一般産業だったらそんなこと容認出来ませんよ。 何故医療だけそんなことができるのかというと、 皆さんご承知じゃないかも解りませんが、 医療にはクレームが中々つかないんです。 特にお年寄をお預かりしている病院、お年寄をケアしている病院には、 クレームがあまりこないんです。 何故か。預かってもらっているという負い目があるからなんですね。 ここを出たらいく場所がないという恐怖感があるんです。 暗黙の恐怖感の中でクレームが発生しないんです。 だから僕はこの原点を変えなければ日本は変わらないと思って、 こういうことを指導しているんです。 ただ僕はいつも言うんですよ。 先日実は京都のある病院でありました。 そこは僕が全部経営企画やっている病院なんですけどね、 僕はずーっとその病院をチェックして歩いていますと、 女医さんと看護婦さんが僕の横を通りました。 そして僕が、「こんにちは」と言いましたところ、 彼女はポケットに手を突っ込みながら僕の顔を見て通り過ぎました。 僕は外部から来たお客さんですよ。 お客さんが「こんにちは」と言ってるのに、 首をちょっと回すようにして僕の横を通りすぎて行ったんです。 で、僕は行き過ぎようかなと思ったんですけれど、 やめました。 「ちょっと」 するとその女医さんは、パッと止まりました。 「あんたなんて名前?」 「あんた子供何人居るの」 「実は二人います」 「あんたの子供ろくなものにならん」 と僕言ってやったんです。 彼女何を言われてるのか解らなかったんですね。 「あんたまさか家へ帰って子供達に”いただきます”と言いなさいと”お父さん、お母さんおやすみなさい”と言いなさい 。朝学校へ行く時は”行ってきます”と言いなさい、なんて教育してないだろうな」 と言ったんです。 自分がろくな挨拶も出来ない様で、子供たちには、 まさかそういう要求をしていないだろうなと。 僕は言ったんです。 自分が挨拶をすると言うことは、 人を爽やかにすると同時に、 自分を元気にさすんです。 挨拶というもの、それが、時代を追って今家庭から消えて行っているんではないでしょうか。 そしてもう一つ、僕が感じますことは、 教育の中で一番重要なこと、それは、 親が生き様を子供達に見せるような教育をしているでしょうかと、 いうことを問いたいのです。 僕は昭和29年生まれです。 昭和20年代の終わり、 まだまだ日本は貧しかった頃です。 日本は本当にみんな貧しかったんです。 ただ、貧しいながら4軒長屋、5軒長屋、 僕も長屋で育ちました。 小さい時の僕の写真を見ると、 少ない中の写真を見ましても、 靴下を穿いている写真はありません。 裸の足にゴムのズックを穿いているだけです。 青鼻を垂らして、 そして手には赤切れ、 そして家にはお風呂がありません。 寒い夜、親父とおふくろと、銭湯へ行って、 帰りがけにもう身体が冷えちゃって、 家には暖房がありません。 小さな炬燵です。日本中がそういう時代でした。 ただ、その時の親は、今の様に教育もありません、物もありません、 ただその時の親は、自分の生き様というものを、子供をこうやって守って、子供をこうやって育てているという、 生き様という、親の背中というものを子供達に見せてくれたんじゃないのかなと思います。 今、ゆたかになりました。 豊かになって多くのものを日本人は忘れたんじゃないんでしょうか。 豊かになって、  で、子供と真正面を向いて、そして、子供と真正面を向き過ぎて、 教育をしている。 僕はどうもそういう風に見えちゃうんです。 一番大事なことは、子供はじっと親の背中を見ています。 じっと背中を見せながら、子供が迷った時に、 ぐっと抱きしめてやる。 子供が迷った時に、 ぐっと抱きしめてやる。 僕はそういう、教育という現場は、家庭はやはり一番重要なのではないのかなと、 考えております。 今日最後に、一つの言葉を皆さん覚えて帰って下さい。 それは、テンポラリーアビリティという言葉をおぼえてください。 これは英語ですけれど、直訳しますと、 一時的な健康者という意味です。 実は僕はこの言葉は、3年前ニューヨークでおぼえました。 僕は1年間に40回以上出張致しますが、 その間に仕事でアメリカ,ヨーロッパの方にも毎年行きます。 先々週までアメリカへ行っておりまして、 先々週の月曜日にアメリカから帰ってまいりました。 そして、殆ど休み無しのように日本中を回っております。 ただ、3年前のニューヨークで、僕はこのテンポラリーアビリティーという言葉に出遭ったんです。 3年前のニューヨークと言いますとね、 丁度あのクリントンの政権で、大きな老人医療費が、 引き下げられた年だったんです。 アメリカの高齢者産業は進んでいます。 しかしその中で、大きい老人医療費が引き下げられて、 これからどうしようという真っ只中にさしかかった時に、 その時に、ニューヨークで、僕はホテルで、 新聞を読ませてもらっていますと、 あるコラムニストが、 これからは、テンポラリーアビリティーという表現をしようというコラムを書いていたんです。 アメリカでは不自由な方はですね、ハンディキャップという、 ハンディキャップというのは、あんまり良い英語じゃないんです。 所謂、ディス・アビリティーという、 いわゆる健常じゃない人々、 一人で動けない人々、 ディス・アビリティーというんです。 そして、健康な方はアビリティー、 日本でいうと、障害者と健常者という言葉がありますね。 健常者という言葉は皆さん知っていますね。 ただ、この言葉おかしいと思いません? 常に健康な人、常に健康な人と書いて健常者でしょう? 常に健康な人なんて日本にいます? おかしいでしょう。 今、高齢者問題皆さん知っているでしょ。 今、65歳以上のお年寄が、 人生の最後、6ヶ月以上の寝たきり痴呆を経験する人、 54%だという事を知っていますか? 1998年今年の日本ですよ。 54%の人が、65歳以上になると、 人生の最後6ヶ月以上寝たきり痴呆を経験するんですよ。 この会場から半数以上出るんですよ。 そして、その方々の平均寝たきり痴呆年数が、今、 5年7ヶ月ですよ。 不自由になって誰かに介護が必要とする時代は、 54%で平均が5年7ヶ月ですよ。 これ、皆さんの将来ですよ。 これ、他人事ですか? これが、健常ですか? 常に健康ですか? 女性の多くは妊娠を経験しますでしょう、 臨月の時に、階段をとんとんとんとん走り回れます? 普通のノーマルな生活出来ます? もう、臨月の時というものは、 物理的にケアを必要とする時なんです。 これ、健常ですか? そして、赤ちゃんを見てください。 赤ちゃんってどうですか? 生まれた時、首は座っていますか? 座ってませんね。 寝返り出来ますか? 寝返りできませんね。 そして、ワーワーワーワー泣いて、好きな時に飲んで好きな時に食べて、 そして、オシッコ、ウンチし放題でしょ。 放っておくとウンチで遊ぶんでしょ、触って。 ね。赤ちゃんというものはね、正しい日本語で言うと、超重度のアルツハイマー型の寝たきり少年ですよ。 これが回復してくる過程が、実は正常なんです。 こういう、要介護に生まれて、 時には怪我をし、時には妊娠を経験し、 そして、最後人生を終える時に、 6ヶ月以上の寝たきり痴呆を経験する人は、 54%ということを考えると、 健常じゃないんですよ。 実はニューヨークのコラムニストはこの事を言ってたんです。 健常な人なんていない。 そうすると、これから高齢化問題を考え、 身体の不自由な方々の問題を考える時に、 もう、不自由な人と健常者という表現ではなくて、 ディス・アビリティーに対してテンポラリー・アビリティー、 私達健康な者は、今、一時的な健康時代、人生という大きな流れの中の、 一時的な健康時代を生きているんだという意識を持とうということです。 これによって、不自由な人の問題は、 特殊な問題じゃなくなる。 老いた要介護のお年寄の問題は、特殊な問題じゃなくなる。 よく言うでしょ。 子供叱るな来た道じゃないか。年より笑うな、行く道じゃないかと。 正にこれです。 今日はこのテンポラリー・アビリティー、今、一時的な健康時代の中、 だから、不自由な人々の問題は特殊な問題ではないという意識を今日持ってもらいたいと思います。 誰が介護されるようになっても、 誰が介護する立場になっても、 共に暮し合っていく日本を作る。 それが僕の夢です。 これからも僕自信、そして二人の子供、そして女房、たった4人の家族で我が家は人生というレースを続けて行きます。 僕は子供を選んで生みました。子供は僕に選ばれて生まれてません。 そういう中で、キャッチボール一つしてやれない親父ですが、 僕は父親としての精一杯のことをして、 この世を去って行きたいと思います。 どうもご静聴ありがとうございました。



今日は本当にすき放題のことを言わせて頂きまして申し訳ありません。 これは僕の気持ちの表れだと思ってご容赦頂きたいと思います。 僕はまだまだ体が悪くなって行きます。 今もう首の座りが大分悪くなって来たんですね。 まあ、首から下は全てやられているとさっき言いましたが、 いよいよ首に来ました。 これよりガクッと後へやると、僕は自分の力で首が上がってきません。 首の回りも悪くなってこれしか回りません。 借金で回らないのと違いますよ。 会社は儲かっていますからね。 360度フル回転していますけれど。 ただ、そうやって、いろんなものをなくしながら、 僕はなくす端からいろんなものを見つけて来ました。 最大で何を見つけたかと言いますとね、 命の愛おしさというものを見つけました。 生きてる喜び、社会へ参加で来てるという喜び、 これを見つけました。 そして、自分を頼りにしてくれる家族がいるという喜びを見つけました。 そして、自分と共に歩んでくれるチームがあるという喜び。 そして、社会に参加できて、貢献できて、ビジネスでお金を稼いでいけるという喜びも見つけました。 ただ、一番原点になる喜びとは何かと、 当たり前の幸せを見つけたんです。 仕事が終わった後のビール一杯の、あのグラス一杯の格別の美味さ。 何も言いません、もう。 ただ、本当にささやかな日常の中で、平穏に皆が暮せている喜び、 明日のことを考えながら今日寝れる自分がある喜び、 全て喜びです。 この原点の喜びをもう一度皆さんご自身の家庭の中で見詰め直して下さい。 今日本豊かになりました。 しかし豊かになる中で、多くのものを忘れました。 日本人ちょっと今甘ったれてませんか。 もっと自分と自分の家族の当たり前の幸せと喜びに気付いた者は、 もっともっと底力を発揮して、強くなれるんだと思うのです。 是非皆さん、共に良い家庭と良い地域を作って行きましょう。 どうも、ご静聴ありがとうございました。


ご意見、ご感想をお寄せ下さい