暴風雨下の裸踊り
大井川を越え、小夜の中山で日が暮れた。 目指す見付宿に着いたのはお誂え通り、 祭事が始まる二時間前だった。 江戸へ60里。今日へ65里と刻んだ石しるべが街道筋に立っていた。
賊徒の首領日本駄右衛門の首が曝されたという仕置場跡に駐車して、 捕物みたいに警官の提灯がうごいている宿場町に入った。 軒々には献燈が灯をともし空には12日頃の月が白く光り、 台風などどこにという町の表情だった。
子供の神輿が来た。
ヨイショ モッショ かわった掛け声である。大人が一人介添役についている。 まっ裸に腰蓑をつけ、一寸南洋の土人風俗をおもわせる姿だ。 これが裸踊りの正装であることは後でわかった。
ヨイショ モッショ
神輿についてあるいて行くと、お宮らしい賑いに近づいた。 角の旅籠屋で訊くと、ここは総社のお旅所で、裸踊りのある本宮は、 反対の方向の丘にあると教わった。 この旅籠で強風の一夜を明かすことになろうとは…。
総社の脇に郷土資料館というのが建っていた。 明治開化調の建築がなかなかいい。 国分寺跡の想定図などが立ててあった。そうだ、天竜川下流域には大昔遠江 国造の国府が在ったのだ。 それがこの見付だったのだ。 そうだったのか…。日本駄右衛門と結びついた宿場町が、 急に私の裡に古代政治都市の威貌をととのえて来た。 台風の余得で私は翌る日その遺跡を歴訪し、 遠い昔への慕情に浸ることが出来た。
神と共に心も身も踊り狂う日
本宮は町の裏山の小高い段地に在った。 参道はやや急坂で、神輿渡御の苦労が思われた。 坂を登り切った所から鳥居にかけての松並木に、 縁日に店がズラリと灯を並べている。 そろそろ仕舞かけている店もあった。
ヒヤリと、時雨のようなものが頬に触れたので、 そのための店仕舞いかと思ったが、 それだけではなかった。 茶店の床几に座わり、味噌おでんでビールを飲んでいると、おかみさんが 「いまに踊りの若い衆が押し上って来ると、この道が人で一杯になっちまって、 商売もなにもあったもんでねえわね」と言った。並木の空は灰を流したように暗く、いつか月の在りかもわからなくなっている。 降らない内にと、森を背にした本殿に参拝した。内陣がスッカリ片付いて、踊り場が〆縄で区画されている。 古光りのした神輿が一基、厳然と隅に安置されてあった。
社務所を訪ねて刺を通じた。 名古屋のまつり同好会からも依頼状が来ていて、 さあさあと快く座敷に通された。 主宰格の鈴木宮司と同姓の崇敬会長と ほかに3・4人の来援神職達が小憩して居られた。
宮は通称見付の天神さまで通っているが、矢奈比売神社というのが正名で、 延喜式に列なる古社である。踊りのうんようは定かでないが、 縁起書に眼を通すと
往古この社には人身御供の行われるものの如く、正和年中(約620年前)信濃国上伊那郡赤穂村光前寺より悉平太郎と呼ぶ犬を借受け、怪物を退治し、 その害を除けりとあり、
「その歓びのあまり全宿で踊ったのが始まりということになっとります」
と、会長が補足された。
講談本の岩見重太郎が犬に替ったような話である。 裸踊りの起源にはもっと民俗学的な考証が欲しい気がした。
「まっ裸で踊り狂うということは、己の心に一点のわだかまりもなく、 心身ともに穢れを祓い、 渾然として神と共に遊ぶというところに尊い意義があるのです。」
宮司がそう言われた。
参詣者名簿に名を記せと言われて、表紙をめくると、 市川団十郎という名が眼を射た。
「成田屋が来たんですね」
「ええ、去年、酒井の太鼓をごらんになりにね」
亡父の追善興業に黙阿弥狂言の酒井の太鼓を出すので、 社宝のそれを見に来たというのだ。 研学心の強い団十郎らしい話である。
「でも、あれは浜松城じゃあなかったんですか」
「それが、おもしろい経路から当社に保管されるようになりまして」
宮司の話によれば、見付宿には舞車の神事という古来の行事があり、 町内毎に大太鼓と舞姫を乗せた祭車で宿を練りあるく。 明治の初年頃、その大太鼓に一つが破れたことがあった。 と、胴中に文字があって、 この太鼓は浜松城に使用されていた物であること、 元亀年間に張替を行われたことなどが認められてあった。 紛れもない酒井左衛門が敵を欺くため打ち鳴らした智略の太鼓である。 どうしてそれが浜松から見付に移ったものであろう。
調べてみると、 その太鼓はもと浜松宿の吉兵衛という町人が所蔵していたのを、 その音色に惚れた見付宿の先人達が懇望し、金四両也で譲受け、 町内の自慢にしたことが分明した。 そして、その吉兵衛という人物は、浜松城御出入りの大酒問屋で、 城主の信望が篤く、大政奉還時の財政危機に、 金融のため下げ渡されたものらしいことがわかった。
「いまにその太鼓が鳴りだします。どうぞお聞き下さい。」
声の終らぬ内、ドーンと一発、花火が上がった。
「では」
宮司が腰を上げられた。
「生憎と降ってきたのう」
そう言えば屋根に雨滴の音がきこえはじめた。
昔と違って12時で切り上げとは
神職達は傘をさして濡れはじめた石道を本殿に向かわれた。 参道にはいつか物売り店が全部灯を消し、明日の還幸祭のため、 テント屋根だけが暗く残されている。 おでんを食べた茶屋も戸を閉て、軒下に参詣帰りの男女が人垣をつくって、 裸群の到着を待っている。それは、刻々と数を増やして来る。
「悪い雨だのう」
「祭に降るなんて、めずらしいことだのぅ」
お札売場の上と下で、そんな会話が聞こえている
「台風が接近しとると、ニュースで言っとったが、 そのせいかもしンねえの」
そんな声も聞こえた。そう言えば、雨の降りざまが少し異様である。 止んだり、落ちたり。 その落ち方が水を撒くような乱調子だ。
本殿の神輿の前で、御神霊移御の神事がはじまった。 それがよく見える売場に、世話役の古老達が集っている。 その中へ割り込んで、わたしはまた祭りの話を聴くことにした。 見付宿には24の町内がある。それが、一番触れ、二番触れ、 三番触れと三つの組に編成されて、三ヶ所の神酒所を繰り出し、 町筋を練った上本宮に向かう。 花火はその出発の合図だった。
「今夜神輿に仕える若ぇ者は、 三日前に遠州灘の水で浜垢離をとって来たです。 海水で身を潔めた上、海水と砂を持って帰って、お宮の内外を清めるです。 それを清祓の儀式と言っての、それをやらねえと祭りにまちげえが起きると、 昔から言われとるですよ」
時ならぬ雨で神札の売れが止まったので、 そろそろ店仕舞いをはじめながら、古老の一人が言った。
「町から二里ばかり行った海岸に、中島の浜ちゅうのがあっての、 そこであるです」
一人、宵から飲みまわって来たらしいのが居て
「中川ちゅう川を舟で降ってゆくだが、祭囃子をはやして、 カンカン、ドンドン、カンカン、ドンドンと賑やかに浜へ乗り込むだよ」
「おめえ、それ、戦争前の話だべ、ハッキリ言ってやらねば、 客人が今の話だと思うだぞ」
「そンだ、いまはバスで行くだ。だから、 あっと言う間に浜へ着いちまうだよ」
「昔はよかったのう」
どこの祭へ行っても、年寄りの口にする言葉は、 よき時代へのノスタルジャーだ。
「でも、その時代に、 裸踊りに参加する若い人が何百人もあるというんだから、 頼母しいことじゃないですか。 よそではアルバイトを雇ってやっている所もあるんだから」
「まあ、その点はありがてぇてンだと思ってるだが、 若い者ンが少し熱心すぎての、祭が一寸ゴタゴタしているですよ」
縁起書にも、神輿出御午前3時40分と印刷された文字が、 午後10時50分と訂正されているように以前は夜を徹しての祭だったのを、 3年前から、取締上、十二時前で灯止められることになった。 それを青年達は不満として、血の気の多き輿論が、 古老の弱腰を攻めているらしい。
「やらせてやりゃいいよ。町の若え者は心がけがいいで、昔から、 この祭に限っては、一つの喧嘩出入り、 一つの女子出入りもなかったでしょう」
「まぁ、しょうがねぇよ。警察の方も、 いろいろと思案した上でのことだべ」
突然、ヒュウッと絹を裂いたような風音が虚空に起こり、 煽られた雨がバケツのように地上へ叩きつけられた。
「うわぁ、凄え」
「時代だべ、これぁ」
すぐ横の空地で、先刻から篝火を燃す用意をしていた白衣の人達が、 思わず空を見上げた
頭から蓑をかぶった人が、裸足でピョンピョンと飛んできた。
「おい。大変だぞ。静岡県が暴風圏内にへぇっただ」
「嘘吐け。そんなに早く来てたまっか」
「だって、いまテレビでそう言っただよ」
「暴風圏つうのは広いからの。こっちの方は大したことはねえっぺ」
わあっという喚声が坂の方にわき上がった。
「来たべッ」
「一番触れじゃッ」
白の鉢巻、白褌、晒し木綿をキリリと巻いた腹によく動く 腰蓑をつけた青年が数十人、わらじがけの足を踏み鳴らし
ヨイショ モッショ と、掛声勇ましく鳥居を潜って来た。それを迎える群衆の歓集。 いつか境内は見物で埋まっている。本殿から帰った神職達が、 慣れた手でいい音の拍手を送った。
ヨイショ モッショ
ホースの雨に狂乱の人間洪水
ヨイショ モッショ 鈴を振り鳴らす青年、小提灯を振りあるく青年、 先頭の高張提灯に境松組と書かれてある。 いっきに拝殿めがけて突進し、踊り場に飛び上がろうとする横から、 ホースの水がシャアッとあびせかけられた。 手桶の水も大柄杓でザアッと落ちる。 皆、先刻から待機していた世話人の仕事である。
ヨイショ モッショ
「潔めの水ですか」
「それもありますが、皮膚の摩擦を防ぐためです」
なるほど、踊り場に飛び込んだ青年達は、肉弾相撃つ揉み合いだ。 水がなければキット肌を擦り剥くだろう。
ヨイショ モッショ 掛声にかぶせて、社宝の大太鼓が叩き出された。
ヨイショ モッショ
ドン ドン ドン ドン わたし達は降る雨の中を本殿の縁へ駆けて行った。 わたし達より前に駆けつけた見物人達で広縁は身動きならぬ人垣だった。
榊の枝を手に、狂ったように乱舞が始まっている。
ジャン ジャン ジャン ジャン これは鈴の音。
ダン ダン ダン ダン これは床を踏み鳴らす足拍子。
ヨイショ モッショ 乱舞はぐんぐんとピッチを上げて来る。
ヨイショ モッショ
「二番触れが来たぞォ」
声とともに、水から飛び出した大魚のようなギラギラした裸が数十、 わぁっと声を上げて社殿に躍り上がった。 一番触れだけでも狭かった社殿が、人数を倍にして、 ハチ切れそうになった。声も2倍になった。
ヨイショ モッショ 大太鼓にも倍の力が加わった。
ヨイショ モッショ
鈴の音。足拍子。その上から容赦ないホースの雨。
ダン ダン ダン ダン よくこれで床が抜けないものだ。狂乱した人間洪水。 もし一人でも転ぶ者があったら、たちどころに踏み殺されるだろう。
「危ないから降りてッ」
「とばされ怪我するだぞッ」
世話人達が必死の声を搾って、見物人を縁から下ろそうとする。
強風に夜店が吹き飛ばされる
わたし達はふたたび社務所に移った。わずかな間に、 雨風のさまが変わっていた。 ハッキリと台風の相を帯びた風が松の木に悲鳴を上げさせ、 夜店のテント屋根をいたましく吹き煽っている。 あかあかと燃え上がった篝火は、風のたびに横一文字に吹きなびく。
「大変だッ、御前崎に上陸したぞ」
窓の下の声に社務所の古老たちが顔色を変えた。
「えれえことになったのう」
「莫ァ迦に急だったのう」
凄い音を立てて、ひときわ強い風が社務所を揺さぶった。
「わあっ」
思わず皆が叫んだ。
「あっ、夜店がッ」
両側に並んだ数十軒の夜店の屋根が一つ残らず、見るも見事に飛ばされた。 空地の篝火が風前の燈火を地で行っている。
「しょうがねえ。ぶっかけるべッ」
古老の一人が決断した。火を消さぬための油が用意されてあるらしい。 しかし、神火にそれを注ぐことは最後の手立てなのだ。
風はいよいよ強烈となった。松の木がヒイヒイ声をあげながら、 前後左右に翻弄されている。
松倒れ、暗黒の町筋に湧く狂声
社殿では、しかし、風雨をよそに、 狂った乱舞がいよいよピッチを上げている。
「三番触れは遅いのう」
古老の一人が心配顔で呟いた。
「どうしたろうの」
「風で出足が鈍っとるのじゃろか」
「そんなことはねえ。電話かけて訊いてみるべ」
一人が電話をかけに行った。すぐ帰って来て
「まァだ神酒所でのんどるそうじゃ」
「やっぱり風待ちけ」
「そうじゃあンめ、風をエサに時間を稼いどるだよ」
「思う壺だわ。ヘッヘ」
古老の一人が意味深い笑い方をして見せた。
皆、一寸沈黙した。祭りの時間制限への抵抗が、 天から降った合理性を得て、時宜を与えているらしい。
「けんど、三番触れが来てくれないと、 お神輿を出すことが出来ないのう」
宮司が困った表情で呟かれた。三番触れの到着を待って、 全町の灯りが一斉に消される。 そして神輿は、若者全部の手に守られて、 暗黒の町筋をお旅所に渡御される。
「よし、行って来るべ」
窓の外の一人が裸足のまま駆け出した。
「花火の準備は出来ているだな」
「出来ていやす」
窓の外から返事があった。消燈の合図の花火だ。 風にも気狂いじみたピッチが加わった。 御前崎から裏日本へ抜けようとする風神渡御の、 いまがそのクライマックスらしい。
ベキッ ベキッ。 先刻から狂女のように暴れつづけていた前の松の木が、 ついに中程から折れ倒れた。
暗の中を神輿は社殿を下りたらしい。
ヨイショ モッショ 土砂降りの雨。折れつづく松の音、ズブ濡れになった裸群によって、 高く低く、神輿は小舟のように揺れ狂いつつ、 神火の前をキラキラと揉まれて行った。
ヨイショ モッショ
ヨイショ モッショ
ヨイショ モッショ
