浜をり
矢奈比売天神祭に先立つ五日、町々福田の浜辺へ行きて潔を為すことゝす、
浜をりと唱ふ町の字々にて屋形と称する舷に仕立てる家根あり、
何れも彫刻などありて立派なものなり。家内皆々これに行くことゝす、
此日美麗なる衣服又はそろいの衣服を着し、
料理の重詰酒の樽を舷中酒宴の用意、
三絃太鼓笛などのなりものを用意し出掛けることにて、
浜に夕刻まで遊ひ居り、紅提灯を舩に掛つらね、
舩の真先に竹を立て、組々の印の提灯、浜へ禊に持行し鈴を結附て、
なりものを鳴らし囃し立て戻ることゝす、
此日浜へ行かぬ家にては山へ行又は寺院の境内にて酒宴弁当をひらき遊ぶ、
これを浜をりといへり、
按に浜をりとは浜垢離にて祭事に関係するゆへ身体を潔めに行ことなり、
山手へ行くも浜をりといへるは磐田原境に清水の溜る沢あり、
以前は此辺へ参りしといへば、此水にて垢離とりし者ありしならんが、
今は垢離とる者はあらず、此浜をりの舩ゆく時々川岸の農家の者新藁の一つかねを持来り、
舩中の弁当の菜なる里芋に取替ることを乞ふ、
舩の者いもの串さしとわらを交易して、此新藁を以て裸祭りの時に腰に〆る〆縄を作るにて、、
此交易の時に舩と岡との掛合中々面白きことなり。
此浜をりに鈴を持行き海水へいれて潔ることとす、
これは裸祭りの時に一番二番三番触れとて神輿出御を本社より仮屋へ注進する役あり、
鈴を腰につく者にて、此鈴と組々の万燈の木に結附る鈴あり、
海水へ入ると錆びるゆへ一は入れず、
毎年入る鈴は音の悪くなりしものを海水へ入れきよめると、西小路に鈴二つあり、
何れも三四寸の鈴なり。
オミシマサマ
此裸祭りの前三日の夜二三時頃、オミシマサマと称する神事あり、
町々の青年垢離して暗夜天神社へ到ると、
神職中の若者榊の枝を持てかけ出す、若者も走りて町の角四五ヶ所の処へ来ると机を出す、
榊を建てる用意しあれは神職は持てる枝を差し、祝詞を唱へ又次の場へ走り行き前の如く致す、
青年これに連れてかけ行くにて神秘の祭事といへり、
オミシマサマということば其意不明、或人は道芝さまということだと申居るが如何か、
御身代様ということにはあらぬか、祭事に詣る人々此榊枝の幣をとりて身潔を為す為のものならずやと思はる、
又小路の両わきへ縄を張り幣を附け榊枝を差す処あり、これは祭礼の夜不潔を除ける為にすることが例となりしなり。
裸祭
裸祭の当夜、町々字々の者白の下帯はら巻白のはち巻、男の児はから車に乗せ、
提灯を持ちもの万燈に鈴つけたるを押立て、一団体となりて社殿へおとり込む、
代り代り鬼おどりとて押込み、ヨンヨサ、モンヨサといひつ、人山を為ておとり込む、
労れては先の者退き次の団体と代る代るに致す、
此如きは神輿の出る迄三度も致すことゝす、
御輿出御前には各組々の裸人物幾千といふなくおとりを止め待居ることなり、
見付町にて境松といへる地は坂上にある高地なり、此地の者は月出の様子を見て、
若者両人境松の印提灯を持て、一番触なる西小路の詰所へ来り、
万灯の立てある処にて腰をかゞめ、
”御時分が参りました、どをか御出掛けなすって下さい”
との言葉を、御苦労様ですととあいさつして一番触のもの本社へいく、
時に本社にては神職榊の枝に一番触と書附し紙を結付しを渡す、
一番触の者榊枝を受取や飛が如く一息に一番ブレーと呼びつゝ飛出し、
横町の角迄来る、本社より一番触出る時は花火を打上て、
二番触出で三番触出る時は各家燈火を消し火先を全く無くなす、
神輿殿より出る迄は社前半丁程の道の真中に大門煤を焚く、
神輿此処に来ると、地も下り坂になり、暗黒中に早足に総社の拝殿迄荷はる、
裸体の者幾千神輿を守りて無音暗黒中に行く、
もし火先身ゆる家などあれば裸体の者飛込て打ちこはすことを為す、
神輿渡御の後は燈火盛に町の賑ひ希に視ることにて、
此日各家粟の牡丹餅を製し来客に饗応し人にも売ることゝす、
東坂辺にては生薑を売り居る者多し、土産に買ふて帰る者あり、此裸祭後に必ず大雨降ると、
これをお山洗の雨といふ、
山の不潔を洗流す雨といへり、裸祭は旧暦八月十日の夜に執行することにて、
新暦を不用、此祭りと人身御供との伝説あれど、
書に記されしは白猿が天保三年八月此地に来り祭の様を見て小冊子を出版せしものゝ他は知らず、
白猿の冊子には丹波の国のしっぺい太郎といふ犬が此地の化物を退治せし話にあれど、
今伝へいふは丹波にあらず、信濃国伊那郡赤穂村の犬といへり、
町の老人成瀬弥九郎氏の話に、
信州下伊奈(ママ)郡上穂村光善寺に霊犬早太郎の堂ありて、
此犬の供養の為に納し大般若経ありと、見附の名書の書附を持てる人には此経巻を見せしといへと、
慥なる話なるが、誰も実見せしものも無之様なり、
人身御供の伝説は諸国に有るものにて、それがこの裸祭に関係せるものとも思はれず、
裸体押し合ふことたる、元来水垢離をとりて神輿を荷しことありしならん、
秋冷の寒さ強く互に身体に触れ合ふて温気をとりし自然の結果が掛声や鬼おとりの原因となりしならん、
むかしむかし人身御供のありし地は今の神社の地にあらず、
天神社より数丁奥の磐田ヶ原という地、
字元天神といふて此地に天神社ありしを、
何れの時にか今の地へ移せしなり、夫故近年迄は祭典の砌神宮元天神社へ到り御霊移しの神事を為せしと、
この元天神社の地は赤松家の所有地にて小社あり。
|