見付天神裸祭記



拓殖大学静岡県学友会会報「拓魂」第33号(平成14年8月25日発行)より

加藤育朗






  遠い昔には遠江の国府として栄えてきた磐田市見付の裸祭は、古くから東海道の旅人にも親しまれて参りました。

 この祭は、毎年旧暦8月10日直前の土日を大祭として8日間にわたり行われる、矢奈比売神社(通称見付天神)の最も重要な祭礼で、平成12年に国の重要無形民俗文化財に指定を受けました。

 起源は、正暦4(993)年8月11日に菅原道真公の御霊を勧請したのを喜んで踊ったのが始まりと言う説と、悉平太郎伝説に基づく説が有力ですが、どちらの出来事も、一つの要素を加えるのに過ぎなかったと考えます。裸に腰蓑という身形からは、海洋民族の風体が想起され、石垣島には類似した祭が存在する事から、南方渡来説も捨て難いとされています。

 大祭前週日曜日の祭事始めから、3日前の浜垢離、前夜の御池の清祓と、潔斎に潔斎を重ね、大祭の当日を迎えます。先ず祭事始めでは、山の神霊を宿した榊の枝を、深夜ミシバオロシという神事により、街道の辻々に立て、町全域が聖域化されます。全町の灯火が消された漆黒の闇の中、神職を先頭に白丁で身を包んだ役付きの者達に続き、白装束を纏った氏子の参加者が疾走します。「オシ、オシ」という掛け声が響き、拠点毎に榊が立てられて、祝詞が奏上され、参拝者へは洗米が配られます。そしてまた次の拠点へと「オシ、オシ」という掛け声と共に疾走します。この掛け声は、母校に伝わる「オス(押忍)」と同系統の発声だという説もあり、高位の神が降りることを告げる声だとされています。

 次に浜垢離により、氏子の心身が清められます。見付全町からの参加者は数千人に上り、遠州灘海岸で荘大な禊が行われます。この浜垢離は、禊と共に海の神霊を迎えるという重要な神事です。 そして大祭前夜には、浜垢離で持ち帰った海水や砂を用いて、神社と境内が清められます。こうして裸祭の舞台が整います。

 大祭の夜9時、白晒の褌に腰蓑を纏った裸の男たちがそれぞれの祭組の会所を出発、途中合流を重ね4つの集団を形成、町の端々まで練りまわり、順次拝殿に練り込みます。次々に新たな集団が加わり、拝殿の中は最高潮となります。「鬼踊り」と呼ばれる拝殿の練りでは、一層激しく身体をぶつけ合い、「オイッショッ、オイッショッ」と掛け声も一際高く響きます。やがて、全町一斉に灯火が消され、闇の中を神輿が渡御します。これを「オワタリ」と呼び、町の中央にある総社まで走り抜きます。

 翌日、総社にて神事が執り行われた後、午後5時、還御の御神幸が始まります。躍動感溢れる裸の練りとは対照的で、鳳輦車に揺られた神輿がゆったりと進みます。

 拝殿前に到着した神輿は、輿番によって力尽きるまで何十回となく振り上げられ、歓声の中、神輿を拝殿に納め、本殿祭をもって、8日間にわたって行われた見付天神裸祭の幕は下ろされます。

 見付の町に山と海の霊気に包まれた環境が作られ、その中で、潔斎をした裸の男たちが声を枯らして身体をぶつけ合い、魂を蘇生します。また、今年も、そして来年も、新藁の香りと共に、見付を巣立った男たちが、新しい命を得るために帰って来ることでしょう。