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地名考 / 町名・小字名
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内 容
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参考資料・注釈
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中央町・
加茂川通り・
河原町・
梅屋町・
西坂町・
一番町・
幸町・
馬場町・
元倉町・
天王町・
二番町・
宿町・
新通町・
清水町・
中川町・
住吉町・
地脇町・
東坂町・
富士見町・
権現町・
水堀・
元宮町・
緑ヶ丘・
元天神町・
北見町・
美登里町・
今之浦5丁目・
今之浦4丁目
昭和23年、市制施行と共に町名を変更
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『見付町名及び各字名の起源』
『見付町名の研究』
『郷土史研究』
『見付町史雑考』
『見付町誌』
『見付町沿革誌』
『磐田ことはじめ』
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中央町(堺松)
・見付と中泉の境にある。古は境町といったが、後に境松と改めた。
・昔、中泉との境に松があったことから。
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加茂川通り(横町)
・見付西部の横にあり、南北に通じているので、横町という。
・見付の町は大抵東西に長くなっているが、この町だけは南北に長くなっているから横町である。
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河原町(川原)
・昔、天竜川は見付の直ぐ西を流れていた。この川原は天竜川に近かった為、名づけたという。
・また、加茂川の流れが変遷し、川原になったことより名づけたともいう。
・見付には京都の地名を真似したものがあり、川原・加茂川等はそれである。
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(一本松)
・見付の西方の坂を登りつめた所、甲塚の南側にその昔一本の大きな松があったので、一本松という。祭組名「一本松」
・昭和17年 河原町に吸収された。
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昭和5年には町として裸祭に参加していなかった。(見付町誌)
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梅屋町(梅屋小路)
・西坂四つ角の少し東にあり、北に通じる小路である。
・この所に幕末頃まで、梅屋という家があったことにより、梅屋小路という。
・この家は梅屋火事で焼滅した。
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西坂町(西坂)
・明治年間、塔之壇は南に延びて、西之小路と倉小路の境に石垣で築いた小丘に続き、
一つの高所となっていたという。
交通が不便の為、それを切り開いて、いわゆる西坂は急な坂となった。
また、坂では不便な為に、再度工事して今のようななだらかな坂となった。
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不用小路←不浄小路?
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一番町(西之小路)
・見付西南部にあるので、西之小路をという。
・昭和23年、祭組名「一番触」より一番町と改名。
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幸町(玄妙小路)
・玄妙寺があるので、玄妙小路という。
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化粧坂(けわいざか)
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馬場町(馬場)
・見付が東海道五十三次駅の一つであった時代、馬を繋いだ所であったので、
馬場町という。
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(宮小路)
・総社に入る通なので宮小路という。
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(磐田ことはじめ第1編)
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元倉町(倉小路)
・磐田北小学校のところに端城があった時分、
上納米を入れておく倉がここにあったので、この名がある。
・国府の倉庫があったことによるともいう。
・一説に、徳川の倉があったためと。
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天王町(南小路)
・ここは見付の全体から見て南部にある為、南小路といった。
・昭和4年に天王町と改名した。それは祭組名「天王」からきている。
・昭和23年 清水町と共に旭町としたが、その半年後天王町と旧に復した。
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(見付町沿革誌)
(磐田ことはじめ第1編)
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二番町(北井上)
・『三代実録』に「貞観7年5月8日、授遠江国六位上淡海石井神従五位下」とあり、
この神社は式内淡海国玉神社である。見付の惣社大明神というのは、
即ちこの神社である。この社の近辺の字を北井上という。
・この辺は水利がたいへん良い所なのでいうのであろう。
・昭和23年、祭組名「二番触」より二番町と改名。
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宿町(宿町)
・見付が東海道五十三次駅の宿場町の一つとして数えられた時代、宿場があったので宿町と称せられる。
・江戸時代後期、東坂・馬場それぞれの一部が分離独立した。。
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新通町(新通り)
・「昭和4年9月 見付町新通区ヲ設置ス」
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(見付町沿革誌)
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清水町(清水小路)
・家康が浜松に在った慶長年間、安間平次弥という者が当地に居た(現、片桐医院)。
屋敷内に池があって清水が流れていて、家康にこの清水を献上したといい、
池の脇に家康公の腰を下ろされたと伝えられる平岩もある。この清水より清水小路という。
・この小路をまた、平次弥小路ともいう。
・「昭和23年 天王町と共に旭町としたが、その半年後、清水町と旧に復した」
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中川町(川尻)
・昔、今之浦は入海となっていた。その当時、
ここは中川が今之浦にそそぐ地であったので、川尻という。
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住吉町(住吉小路)
・住吉神社があるのでこの様に名付けたという。
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地脇町(地蔵小路)
・中川橋のやや東より北に入れば宣光寺がある。宣光寺境内に地蔵尊があるので
この小路を称して地蔵小路という。
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通称:地蔵脇・地脇
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・三方ヶ原合戦において、家康退却のとき火を放って不具者を焼殺した。
後、家康の臣大兼藤七郎がここに地蔵堂を建立したので、この名がある。
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?未確認
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・「昔から宣光寺のお地蔵様お開帳の日は、相当な賑わいを見せた。その脇に展がる町として地蔵脇と呼んだ。」
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(磐田ことはじめ第1編)
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(寺小路)
・家康が浜松に在ったとき、大見寺境内に御茶屋御殿を建て、見付へ狩に来た折ここで休んだことから門前通を
「御殿小路」という。
後、大見寺があるので寺小路という。祭組名「御殿」で、輿番を勤めた。
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慶長7年
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・「昭和14年 一部は二番町になり、他部は宿町に吸収された。」
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(磐田ことはじめ第1編)
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東坂町(東坂)
・昔時、見付は二分して東坂・西坂と呼んだ。
・昔、今の塔之壇が南に続いて西之小路と倉小路との間、即ち見性寺の東の石垣で築いたやや小高い岡に続いていたために東西側は急な坂があった。
その西側の坂を西坂といい、それに対して東側は東坂といったと伝えられる。
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富士見町(三本松)
・見付の最東部にあり、愛宕神社の側の急坂な旧道を登りつめれば左手に天神社に通じる道がある。
この道を入ると、右手に余程年数を経たと思われる大松樹が3本あって
(現在は枯れて株のみ)、その下に「元門の跡」の石碑がある。
3本の松樹があるので三本松という。
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権現町(権現小路)
・東坂の南にある。東坂より権現小路に入れば左手に熊野権現神社があるので権現という。
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水堀
・平成6年土地区画整理事業により幸町より分離独立した。
・町名は事業地内の旧小字名より
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(磐田ことはじめ第1編)
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元宮町(東北浦)
・昭和23年市制施行と共に町名を変更。
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緑ヶ丘
・平成6年元宮町内の緑ヶ丘ニュータウンが分離独立した。
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元天神町
・昭和43年元宮町より分離独立した。。
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北見町(中北浦)
・昭和23年市制施行と共に町名を変更。
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美登里町(西北浦)
・昭和23年市制施行と共に町名を変更。
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今之浦5丁目
・昭和59年土地区画整理事業により新設。
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今之浦4丁目
・昭和59年土地区画整理事業により新設。
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(北浦)
・街道筋の街の北側に位置する町を総称したもの。
北裏地区の意味で、南側の町を南浦といった。
後になって見付北部地区を指す様になったと思われる。
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(今之浦)
・見付と呼ばれる以前は、伊摩という地名であったのでこの浦を伊摩の浦という。
後になって今之浦と書くようになったものであろう。
・昔、この一帯は今之浦という内海であったので、それが小字名として残っている。
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