祭事始について




 神主の立場で話をするという事ですので、自然、神事が中心になります。したがって神事を順を追ってお話するのですが、夜の渡御から後は氏子の方々が非常に強い度合いをもって参加されております。ですから、昼間から御輿の渡御までぐらいしか神主はタッチしないと言っても良いのではないかと思います。

● 元天神の神事

● 御斯葉オロシ






元天神の神事

 <祭事始>というのは昔は旧暦の8月2日に行われておりました。この日、元天神で祭が始まります。
 元天神についてお話いたしますと、明治20年頃赤松さんがご自分の地所に、あるいは村の人々と話し合いをなすったかも知れませんが、せんだって修復する前の建物を建てられたのです。しかし、その前は小さな祠があったらしいという事ですが、よく分かりません。
 元天神のお祭りというのは、むこう(元天神の社)に御神体が無いと考えたいですね。というのは、当日こちら(矢奈比売神社)の宮司様が榊に垂れを付けた神の依代を作ります。それを神前で、神主の言葉で言うと神様に乗り移っていただいてそれを静かに抱いていってむこうの御本殿に納めます。そこに神様がおいでになる。要するに、こちらの神様がむこうへ一時移られたというような形でお祭りをするわけです。そして、その時の祝詞とはもちろん「今年のお祭りが無事に出来ますように、まず、元宮でお祭をお申し上げます。」というような意味のものです。これで<祭事始>が始まるのです。





御斯葉オロシ

 この日(祭事始)の晩に、こちらへ帰って来まして、御神木を町の十三ヶ所に立てる<オミシマサマ(俗称)>というお祭りを行ないます。この時、こちらにおこしの鈴木(暁二さん)初め、お先供の方々が先頭になって、それぞれ役を持った人がその当番となった場所に立てる榊を持っていきます。それに神主が付いていって、要所要所で祝詞をあげて、天神様のお祭りが無事にできますようにお願いするわけです。それ自体非常に簡単なもので、遠くの方から天神様を拝んで申し上げます。祝詞の内容はやはり「どうか今年も大祭が無事できますようにお願いいたします」ということです。
 町の要所要所、御斯葉を立てる場所について私はよく分かっておりませんが、少なくても昔は今より人口がもっと少なくて、そこが一つの人家のかたまりの様な本拠地の様なものがあった。自然、神様のことはそこで相談する、あるいは神様がお帰りになる時には神様をお迎えする、とかいうような会所のような形になった。そこが<御斯葉オロシ>のとき御斯葉を立てる所というようになったと考えたいです。
 その場所は、天神様(社務所・大鳥居)から始まって、出先の井戸・愛宕下・ 元門を経て東の方の御旅所(三本松)返って来て、東坂の梅の木・総社西坂(梅の木)というような順序で行って、(川原口・横町土橋南・境松御旅所と続き)最後に中泉のところ(中泉堺)へ行くわけです。
 この榊を元天神から採ってくるのではないかと想像される説明がされております。確か、2年ほど前(昭和62年)神社本庁が国学院大学の先生といろんな企画をされまして、それで、天神様のビデオテープを作りました。その中に元天神で榊の枝をはさみで切っている姿が絵に出ていましたね。あれは、その晩に町の中に立てる榊は神様がお住まいになっているお山から頂いてきて、それを御神木のようなかたちで立てるということの、一つの名残としてやっているというように考えております。もちろん今はこの天神様の森の中の木を選んで採ってきて、それに神様のしるしの紙と垂れを付けております。それを一つの衣代として掲げているのです。その前提となるのが、むこうから榊を持ってくるということなのです。
 もともと、榊を立てるという行事は「山から木を切ってきて、お祭りをする要所要所に立てる」というように辞典などには説明されております。山側からただ榊を採ってくるというだけに山へ行ったものか、神様のお住まいになっている山から、そのありがたい木を持ってくるということなのか定かではありません。どちらかの意味だと思います。
 天神様の場合、むこうに元天神もあり、あのように説明されているところからみると、元天神と言われているところの榊の枝をこちらへ採ってきてそれを<御斯葉オロシ>に立てたのが事の始まりの様な気がしてなりません。ただし、これは私の想像です。



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