御大祭について



● 昼間の神事

● 宵祭から御輿渡御まで





昼間の神事

 昼間の大祭は、立派なお客様がおいでになります。そして、立派な献じものもたくさんあげまして、女の子の舞いなどもあって、非常に丁寧なお祭りをいたします。そのお祭りの中身というものは、私どもの田舎の小さなお宮でやる祭のしきたりと同じ事をするのであって、特に特殊というわけではありません。
 この天神様には中央に矢奈比売様がお座りになっておって、右側の方、東側に菅原道真公の御霊が祭られておる。西側には、この見付の町の中方々に散らばっておった神様方がここに集められています。
 献じものは、この三つの神様方にそれぞれ捧げるわけですが、矢奈比売様に一番主な物を上げて、それとほとんど同じ物を天神様(菅原道真公)にも差し上げる。いや、もっと丁寧なものかもしれません。要するに、矢奈比売様には普通「三方」というので上げるのですけど、菅原道真公の方には「高坏」といって高い足の付いた立派なものに、わざわざ盛ってあげております。
 この「タカツキ」と呼んでいますが、これには何年に作ったということが書いてございます。従って、その頃に見付の天神様のお祭りに大きな変化が起きた。要するに、偉力が増したというように考えられます。その当時、だいたいお先供の方々がお道具をお納めした時期と非常に接近しております。もちろん、高坏の方が先だと思いますが、この機会に矢奈比売様のお祭りが一層盛んになっていったというように思われます。





宵祭から御輿渡御まで

その晩になると、いよいよ氏子の方々の出番で、夕方の子供の万灯(ダシ)を先頭にしたお参りがありますね。つづいて夜中のお練りになるわけです。<御霊移シ>は(午後)9時です。9時に神様を御輿にお移しするわけです。
 皆様に担いでいただきます御輿の神様は矢奈比売様で、背中に背負って町の中の氏子の方々に極近くまで、悪い言葉で言うとお見せする、お力を授けにいくと言ってもいいと思いますそういう形でいくのが、御輿の渡御となるわけです。
 9時に(御霊を)お移しした御輿が奥にあり、その前で、裸の衆がオイショ、ヨイショと練っています。そして、その練りがだいたい(午後)12時近くになりますと、後は先供の方々の指示によって時間が来れば出立するということになります。
 神主は(御霊を)お移しするときにお祭りを一回申し上げ、神様がお立ちになる前に更に荘重なお祭りをするわけです。どなたか、少しでもこのお祭りのことを御覧になった方、いらっしゃいますか?
 皆様がお堂の中で練っているときに奥で先供・輿番を前にして祝詞をあげる、その状態でやるお祭のことです。お祭をやるということは分かっていても、どんなことをやるのか恐らく気が付かないと思います。あのガヤガヤ、ワーワー、水ジャブジャブの中でやるお祭が、私には非常にいい研究材料になっているわけです。大分苦労しましたが、まだ結論が出ないんです。上げる物が変わっているんですね。
 その前に御輿の飾りを申し上げます。浜から持ってきた石が準備されていることは前に申し上げました。これは禰宜様の手によって丁寧に扱われて、形のよい石を十二個選びます。これを清めた上で白紙に包みます。その上に十二支という、皆様が承知の「子」から始まって「亥」までの、その十二支を書き込んだものを御輿のそれぞれの方角に並べるのです。
この石はもう出立の時には輿番の方がいち早く集めてしまいます。昔は中のお宮(総社)に着くと、ご奉仕した方々の役得というかご利益をいただくという意味で、石を順番で貰ったか、あるいは少しぐらい争って貰ったか知りませんが、それが本当の姿だと思います。今は非常に当番の方々の互助の精神と言いますか、始めに役員お方が集めておいて、後で上手に甲乙ないように分けておいでになるのが実情のようです。
 この行事は八幡様でも同じことをやっていると思います。但し、その石を取るかどうかは知りません。
 これは、私はどういう意味か知りませんが、十二支というのは方角を表すわけですそして、十干というのは日数を表す一つの単位としてシナで発達しました。一ヶ月は30日だと、一ヶ月の間に「甲」に日なら「甲」の日が3回来るわけです。十二支はそのような日付の勘定には使われずに方角を示すことに使われて、それがたまたま江戸時代には時刻の表示にも使われました。
 その十二支の石で御輿が囲まれているということは、やはり真中の神様を石の形になられた特殊な信仰がお守りしていると考えていいと思います「石」のことに対しては、もしくは「岩」というものに対しては非常に強い特殊な信仰を持っているというようなことがあります特に海の水で海の神様に清められた美しい、しかも堅い力のある「石」によって矢奈比売様が守られているという解釈でいいと思います。
 こんな形で出立いたします。
 話が前後しますが、その時上げる物が変わっているんです。これは現物を見ていただかないと分かりませんが、出立の時に上げる物は<粗目籠>と呼ばれています。多分この名前はご承知だと思います。
 <粗目籠>と言いますのは、竹を雑に編んだもので、恐らく即席に編んだものの名残だと思われます。よく、消防団の方々が秋葉の訓練(消防訓練)の時に、山ガの方が即席で箕笊を作るというのをやったのを知りませんか?堤防の決壊を防ぐために箕笊が欲しいというので、即席に作るようなことをなさいますね。あれと同じようで、昔、神様がお立ちの時にその場しのぎといいますか<粗目籠>というものが準備されています。
 もちろん、粗目というのは他にも信仰がありまして、「目」があって悪いものを防ぐという特殊な信仰があるらしいのです。とにかく、「籠」とか「枡」とか「箕」とかいうものは、昔、「神様の籠もるところ」ということで、非常に信仰を得たことが記されています。

この奥の方の三川というところに、三川村(現袋井市)の入口の部落で見取というところがあります。そこの神社が枡箕神社といって「枡」という字と「箕」という字をくっつけて「マスミ」とお呼びしています。
 要するに、「枡」とか「籠」は米を作るようになると重要な道具として貴ばれたことがある。また、それ以前に神様がお住まいになる「室」とか「洞窟」とかと同じように、一つの神様がお宿りになるというような信仰があったらしい。
 これは誠に人間にとって、例をとるとおかしいですが、女の方が体内に赤ちゃんを抱いている姿、そのようなものも一緒に考えて貴んだと言えますね。
 神の存在をそのような形で信仰的に考えたといいうようなことが想像され、文章にも度々出て参ります。
 その<粗目籠>の中に何を盛るかといいますと、小さなカワラケ3つ準備してあります。その中に「小豆・大豆・粟(の穂)」の3種類、実だけにしたものを入れ神様に捧げるわけです。籠は粗い目でこぼれますので、青草で薦を作って、その上に安置するという形をとっています。その薦自体についても、いろんな説明があるようですが、私にはよく分かりません。従いまして、これは定期的にやるお祭だとは、私にはどうしても考えられません。臨時な、早急的な、ことの起こりは思いつきのようなものが確かにあったのではないかと思います。
 昔、「籠」というのは非常に神聖なものとして扱われました。例えば、昔、天皇陛下にお仕えする女官あたりが薬草を摘みにいったり、春の芽を摘みにいってそれを食用にするというようなことがありました。その時には「籠に盛る」というようなことがたくさんでてきます。万葉集の一番初めの歌は、その籠に草を摘むというものです。万葉集を開いていただきますとお分かりになります。美しい乙女たちが草を摘んでいる姿を天皇陛下が御覧になって、一つの感激をされているというような歌です。その中に「こもよ(籠毛与)」とあります。その「こ」という字は「竹」に「龍」という字、「籠」という字が使われています。そういうわけで、「籠」自体も非常に神秘な神様に近付くような道具というように考えていただきたいと思います。

その中の「小豆」と大豆」と「粟」というのは、どうも8月の10日(旧暦)頃には完熟ではないにしても、熟する時期のものですね。したがって、これは8月10日とお祭の日を選ばれたために、その時期に間に合った一番大切なものを神様に捧げたというように解釈して差し支えないと思います。しかし、なぜその頃に「米」がなかったかというような疑問も出ますが、とにかく、その三つの物が上げられます。
 私は、これについては、この地方に焼畑の習慣がなかったかと思いまして、総社の前(旧見付学校)の偉い先生方にたびたびお伺いしました。しかし、あの方々は慎重で、焼畑がはっきり行われたというのは、土が焼けたような状態で出てくれば言えるが、そうでなければ想像だとして返事してもらえませんでした。
 焼畑の作物サイクルの中には、芋とか蕎麦・豆・粟などが入っております。それは、秋に畑を起こす方法と、春に起こす方法の二色あります。ですから、春のときには蕎麦が最初にきて、次は何々ということになります。総じて、粟・大豆・小豆とは五穀の中で最も大切なものではあるけれど、8月10日頃実るということもあって、私は籠と同時に即席にちぎって来て神様に捧げたというような感じから離れられないのです。
 もし、矢奈比売様が総社にお出でになるならば、お土産というように解釈して、人に笑われたことがありますが、私は未だにお土産を持っていくのではないかという考えを捨て切れません。なんとかその証拠になるものを文献の中から知りたいと思って、いくら本を読んでもこればかりは出てきません。と言うのは、これは(御輿が)お立ちになる直前に上げる物です。だから、神様が召し上がっている間はないはずです。そんなところから考えたのですが・・・。
 これも皆様に疑問としてお預けいたします。
 そして、後は山の神様(山神社)のところへ裸を分けてきます。ここで、一番・二番・三番触という、これはお先供の方々のお仕事になりますが、その後、御輿が山を下っていくわけです。
 以上で私が一時間近く<(神輿の)オタチ>までの順序を、主だったところだけお話ししたわけです。

一番重点的に考えたいのは、先程申し上げました<御池ノ神事>というものの本質がどんなものであったかということ。それから、お立ちの時の<粗目籠>というお供え物が何を意味するものかということです。この二つは、裸祭の神事のことを調べる一番目の元目としていただきたいところです。
 神事については、これ以上お話しすることはありません。



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