漆黒の闇夜に御輿の疾走!!血沸き肉踊る鬼踊りの戦慄?! 「見付天神裸祭り(静岡県磐田市見付)」97.9.6〜7
IKUさんからの寄贈写真
「ちょいと出ましたお祭り野郎が・・・」まつきち君の今年第5弾のお祭り紀行は、およそ688年前より始まるといわれる天下の奇祭、見付天神裸祭り。今回はその祭りの魅力を語ります。 お祭りの構成は、6日前(8/31)の祭事始からはじまります。メインイベントは9月6〜7日の2日間。6日21:00〜7日1:00の鬼踊りと御輿のおわたり(天神社(矢奈比売神社)から総社(淡海国玉神社)への約370kgの御輿が疾駆する。)そして、7日は午後5時から御輿が総社から天神社へお帰りになる還御祭。私は今回、ネットで知りあったIKUさんのお世話になり、鬼踊りと御輿のおわたりの追っかけに参加することとなりました。
いつものように13:34宇都宮発、東北・東海道新幹線で東京、静岡乗り換え、掛川駅着16:23。さらに東海道本線に乗り換え16:27発、磐田駅16:40着。IKUさんに駅に着いたら電話して、(磐田ジュビロの定期戦のため混雑が予想されるので)ということでしたが、運よく混雑にもあわず、バスで磐田駅前〜80系統の遠鉄バス(整理券をとるのを忘れずに)で見附行き磐田営業所(終点)で降りて(料金220円)IKUさんが予約してくれた「磐田グランドホテル」(1泊9,240円税・サ込み、リピーターは20%OFF、電話0528-34-1211)でチェックインをすませ、荷物を置いてわざわざお迎えいただいたIKUさんの同級生のOさん(Mさん、T嬢同乗)の車でIKUさんのご自宅へ(IKUさん宅は80系統バス路線の「新通町」バス停の向い側にあります。)到着は18時少し前でした。ネットでつい1週間前に知り合ったとは思えぬ程の気安さで私を歓迎してくださいました。いきなり固い握手で初対面のごあいさつ。(ネットで知り合っても何回もメールを交換しないとすぐに逢ってはくれない多くのネクラの方々とは大違い!!)お酒と心づくしの料理に舌づつみをうちながら、先程のIKUさん同級生の皆さんと歓談、祭りやお酒の話で話しがはずむこと2時間余経過。(その間、天神社では子供組が練っていました。)
やがて、夜の帳もとっぷり暮れて、21時すこし前、持参の一反の白晒(六尺と腹巻きに使う)を締めこんで、黒足袋を履いてIKUさんが買っておいてくれた草鞋と新藁の腰蓑と龍宮社(新通町)の手拭いを頭に巻いて(全部で約2,000円かかります。)IKUさんと二人きりで新通町の会所へ向います。(IKUさんは新通町の警固長として祭組の統制の役を任じられているのでこの先私とは別行動です。)会所では折りから降りしきる雨の中、数十名の男たちが裸に腰蓑の姿の勇壮な出で立ちですでに集まっておりました。IKUさんが私を男たちに紹介し、自治会長のあいさつ、IKUさんの注意事項伝達のあと、神前に参拝、御神酒で乾杯、「前締め」であることを示す青色の手首用サポーターが私に与えられ、「オイッショッ、オイッショッ」の掛け声高らかに、まず会所前で押しくらまんじゅう。そのあと練りながら梯団(東中区)の集合地点を目指します。
祭組は@西区(8町)A西中区(4町)B東中区(10町)C東区(5町)の4梯団(グループ)から成り、わが新通町は東中区梯団に位置します。万灯を先頭に警固は提灯を振りかざし、最初は比較的小人数の町単位の練りもやがて見附本通り(旧東海道)の集合地点に到着するやいなやちょうど川の流れが支流から本流に合流するようにおびただしい数の裸の群れに出くわします。
梯団のすすみ方は次のとおり。@ABCの順番に@一番触(ふれ)A二番触B触なしC三番触というちょうど鉄アレーの形をした鈴をもつ集団毎にそれぞれ次の巡路で最終の天神社をめざします。
@見附本通り最西端(西光寺)21:20集合→東進→折り返し(三本松御旅所)22:30→西進→天神社→宮入り(堂入り)23:00
A見附本通り中央(中川付近)21:00集合→西進→折り返し(加茂川)22:00→東進→折り返し(三本松御旅所)22:50→天神社→宮入り(堂入り)23:20
B見附本通り中央(中川付近)21:00集合→西進→折り返し(加茂川)22:10→東進→折り返し(三本松御旅所)23:00→天神社→宮入り(堂入り)23:30
C愛宕山附近21:00集合→折り返し(三本松御旅所)21:30→西進→折り返し(加茂川)22:30→東進→天神社→宮入り(堂入り)23:40
この梯団のすすみ方を頭に入れておかないと自分の位置を見失うばかりか、あちこちで肩車をして鈴を奪い合っている集団がいますので(鈴のない東中区はこれに触れてはいけないことになっている。)トラブルに巻き込まれるとも限りません。東中区は鈴をもちませんので提灯のみを手がかりに練を進めます。その際の練の進行コントロールは梯団長の提灯の動きを見て警固長が警固に、警固が前締めに伝えて統制していくことになっており、いきなり経験のない私が前締めですから、IKUさんには前もって教えてもらってはいたのですが、この巡路がちゃんと頭に入っていなかったために途中で前締めのサポーターをはずしてその他大勢についたので、どのあたりかはわかりませんが鈴のある梯団についてしまい、自分の位置を完全に見失ってしまいました。しばらくIKUさんのあとをついていたのに途中からはぐれてしまい、どの梯団にいるのかもわからないままではありましたが、幸い、三本松御旅所(ちょっと坂道をかけあがる小高い丘のようなところ)にも、天神社の宮入り(堂入り)にもついていくことができました。これはもう岡山・西大寺の比ではありません。裸男たちが2時間半も西大寺の裸祭りのように押しくらまんじゅうを繰り返しながら移動していくのと同じですからすごいのなんの。自分の位置を見失わないこと、これどのお祭りマニュアルにも書いてありませんのでよく知っておいてください。最後の堂入り、そのあとの御輿のおわたりに参加しなければ本当につまらないものになってしまいますから。押しくらまんじゅうをしながら肩車を組んでの鈴の奪い合い、もうこれは福岡・笘崎天満宮の玉せせりですよ。ちがうのは鈴の代わりに玉であるところぐらいかな。
平成9年見付天神裸祭ガイドより
- 各梯団のすすみ方がイラストで描かれています。参考にしてください。
堂入りではさかんに水が掛けられます。堂内では裸の群れ群れ、熱気むんむん、膚と膚がふれあい、その体温で熱く飛び上がるほどの高温に、これが人間の体なのかと疑いたくなるほどです。まさに鬼の様相を呈しています。IKUさんに聞いたのですが、肌の摩擦を緩和するために水を掛けるのだと。汗と水がまざりあい、水は湯気となって立ち上る。もうこれ、水掛け祭りやざる破り神事ですよ。鈴が勢いよく鳴らされ、堂内の床を力いっぱい踏み鳴らし、体をぶつけあって踊り狂う。肩車をした2人組が鈴を奪い、鈴をもたぬ者は腰をふりふり両手を波打って踊り狂うさまは、腰蓑をつけているので、もうこれこそハワイのフラダンスですよ。鬼踊りは23:00から10分ごとに4梯団が次から次へと加わり、触番の鈴だけが入れ替わります。鈴は常に一つしか堂内へは入れないので、鈴だけが入れ替るのです。(なお、警固の人たちとは別にこのあとのメーンイベントの御輿のおわたりの御輿を担ぐ興番、裸の群集を掻き分けて御輿の道を開ける堂割、御輿先導の道具をもつ先供等の役につく専門の人がそれぞれどの梯団のどの町内がどの役につくかはあらかじめ決められていて、役につく者は3日前(9/3)の浜垢離への参加が強制され、祭りの期間中は女性との性交渉も断つとのこと。なお、輿番の服装は、褌に晒の腹巻き、その上に白袴、白丁を纏い、白足袋に草鞋を履き、黒の烏帽子を被ります。)
12時すこし前、拝殿の奥では御輿渡御奉告祭が粛々と営まれ、その静とその間も絶え間無く続けられる鬼踊りの動とのコントラストが妙に絵になっていて、その間をふさぐ格子もない(西大寺や黒石寺では神事と裸男とを仕切る格子状の柵があるが)のに、裸が御輿を襲うこともなく(すごい勢いなので勢い余ってということはないのだろうか)整斉と行われる様は見事な光景でありました。
やがて0時30分頃、灯火が消えてこれからがメイン中のメインイベントの始まり。その光景を私はうまく表現できないのでここでものの本を引用してみます。
「午前0時半、いよいよ神輿出御。花火三発。始めの花火で「一番触れ」が榊をもち、鈴を鳴らしながら町を走り出御を知らせる。次の花火で「二番触れ」が走って行くと町中が消灯。第三の花火で「三番触れ」が走って行くと、神輿は社殿で踊っている裸群の中央を突き抜けるや、暗闇の中をお総社へとひた走りに走って行く。あっという間のおわたりだ。その時、社殿の裸群の氏子らは一斉に神輿のあとを追う。厳粛な中に力強い生命力が脈打っているような感動的な場面だ。神秘的な空気が漂う。見事な演出だと思う。」
神輿が疾走するというのは聞いたことがありません。江戸神輿のように優雅に人に見せるための神輿ではなく、全町消灯の中、総社で待つ舞車の提灯をめざして一目散に走り抜ける。これぞ神のおわたりのなにものでもありません。神は目に見えないものですから。ここはうまく表現できないものですから、他人の言葉を引用せざるを得ない光景です。これぞ神輿の原点。疾走する神輿についていくがためあらかじめ群集を掻き分け掻き分け拝殿正面脇まで移動して神輿の出御を待っていましたが、あたり一面闇の中で神輿の進むスピードがものすごい速いのと神輿と裸の間に「〆切」といって、裸が神輿に近づかぬよう榊の枝で地面や裸を叩いて追っ払う役の人がいるため、それをよける間に神輿がどんどん遠くなり(岩手県大原の水掛け祭りのように)全力疾走で神輿を追っかけるのですが、なかなか追いつけません。追いついたと思ったらもうすでに総社に着いていました。ここで腰蓑納めの練りを行い、腰蓑をはずして神社の境内に納めました。いつ終ったのか定かではありませんが腰蓑をはずすともう褌一丁。はげしい練りとダッシュが終ったあとの体の冷え込みはまさに金玉が縮みあがる想い。龍陣の提灯をみつけ、そのあとについていきました。しかし、どうも様子がおかしい(私は龍宮社から出た筈)気がついたら加茂川近くの会所にいました。手拭いを見せて、私はどこの町会と尋ねたのですが宮本町だろう、磐田市役所の方だよと教えてくれたはいいのですが新通町の名前が思い出せずどんどん人気の少なくなっていく街角を行ったり来たり。バス路線をたどりながらようやくIKUさんの自宅を発見したのはもう2時をすこしまわっていたでしょうか、深夜の街を褌一つでさまよい歩くさまは国道1号線を行く車窓からどう見られたことでありましょう。恥かしさよりは祭りのあとの興奮のためかもう自分が自分でなくなった夢遊病者のようにこのまま褌を外してストリーキングしようかという衝動にも打ち勝ちながらIKUさんちにたどりついたのです。IKUさんはずっと新通町の会所で私を待っていてくれたようで、迷惑をかけてしまいました。戻って褌を解きくつろいでいたら、IKUさんも戻ってこられて、しばし慰労をして頂きました。そして後刻談に花を咲かせました。祭りの由来、伝説から古代の世界にタイムスリップしてMさんやOさんも交えて酒をくみかわしました。IKUさんの話しでは南方系民族(腰蓑、褌、裸から連想)を彷彿させる祭りの形態、国府と守護が置かれた交通の要衝としての立地条件、附近に古墳が多く出土することから大和朝廷との関係が深いこと・・・。(ものの本であとでわかったことですが、総社は大国主命が祭神であること。大国主命は出雲大社の祭神。出雲大社の神を祀る出雲王国の王は昔、大和朝廷に滅ぼされた異民族であった。その敵将の首塚の鎮魂碑が出雲大社であり、その神と同じ大国主命をまつるお総社があるのは大和朝廷の模倣かと。)などなどとまじで歴史探訪はきりなく、IKUさんとは来年の再会を約して、また余韻醒めやらぬ感動的な体験と壮大なるロマンチックストーリーをプレゼントしてくれたIKUさんに感謝しつつ、3時頃IKUさんに呼んで頂いたタクシーでホテルに戻り、その夜は熟睡いたしました。
翌朝のテレビでダイアナプリンセスの葬儀の中継に見入ってしまい、朝遅い出発ではありましたが午前9時頃磐田をあとに次の目的地である新宿へと向いました。7日は午後1時半から午後9時まで西新宿の熊野神社の600年祭の御輿渡御に角三睦の半纏を借りて副都心のビル街を締め込み姿で闊歩してまいりました。
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