98.9.26〜27 静岡県磐田市 見付天神裸祭り例大祭26日は見付天神裸祭りの大祭である。
この度は、まつきちと21も年下の孝充くんが同行してくれた。長野県上田市在住の彼は弱冠25才である。裸まつりファンの一人としてこのページに感想を寄せてくださった。
「こんにちは! 毎回楽しんでホームページを見ています。 かなり祭がお好きなのですね。私も、東京の某神輿同好会に入っております。 年に十数回神輿を担いでいます。今月はお盆があったせいか、祭はありませんで した。ちょっと寂しいです。さて、以前から、裸祭には興味があり、是非参加したいと思っておりました。偶然、このサイトを見つけた時には、うれしさで舞い上がってしまいました。私も一緒に裸祭に参加したいのですが、よろしいでしょうか?(勝手なこ とをお願いして申し訳ないです。)」
そんな訳で何度かメールや写真を交換しながら、今日という日を迎えました。写真は写真、実際に会ってみるとは大違い、初対面ながら、見かけよりしっかりした好青年である。さすが、祖父元の世田谷区三軒茶屋で神輿を担いでいるだけはある。
今年も昨年と同様に加藤氏のお世話になりました。というか、23日に次いで今年は2度目になります。往きは昨年とまったく同じ時刻、行程で現地、磐田市を目指します。
本日は奇しくもジュピロ磐田がJリーグで優勝した日でもありました。交通渋滞が十分予想されたので、加藤氏のお心遣いにより、彼の幼な馴染みであり加藤家ご来客の饗応役を買って出られている三好氏直々のお迎えの車が有難たかった。
17:30 磐田駅で待ち合わせた孝充くんと今夜の宿泊先である磐田グランドホテルでチェックイン後、加藤家へ向かう。18時過ぎにはお邪魔し、加藤氏の出迎えを受けた。
今夏(8月11日)に妹さんご夫妻が宇都宮市雀の宮へ引っ越され、妹さんを見舞われかたがたまつきちをわざわざ訪ねてくださった。約束は宇都宮で一番の餃子の店にお連れすること。生憎、宇都宮随一と自分はそう思う香蘭は、
1日50食の限定製造につき、お連れした午後7時には既に売切れていた。(えっ!) 2番手のミンミンは定休日。(うそっ!) 3番手の正嗣は長蛇の列(まったく!)にあい、あえなく(元気寿司の経営する)寿司バーに馴染みの(まつきちを石橋の瓢睦に紹介してくださったママさんの居る)カラオケスナックでお茶を濁したものでした。その罪滅ぼしという訳ではないが、香蘭の餃子を15人前ばかり予約しておいて本日、加藤家へお届けをいたしました。加藤家には毎年、今日という日に大勢の訪問客が・・・ご主人の浜商同期生、元勤務先の後輩の方や幼稚園以来の友人の方、奥様のテニス仲間の方々が大挙して集まり、宴席が行われます。加藤家にはまつきちたちが一番乗りではありましたが、次々に来訪者を迎え、次第に賑やかになっていきました。居合わせた栗野氏(居合わせたというのは誠に失礼。この方は奥様と高校時代の同級生でしかもご主人の元勤務先の後輩であり、得意のサッカーではインターハイ優勝の経歴をもたれ、鹿島アントラーズの秋田選手や京都パープルサンガの松永選手とはなんと先輩後輩の関係にあります。)にカメラ撮影をお願いして、加藤氏のご指示で、19:30頃、まつきち&孝充は一足先に新通町自治会館へ。(いきなり自治会館を訪ねてもだめなのは[お祭り紀行:14]でお話しした通りです。)
自治会館では鈴木氏のお世話で孝充は一反の晒しを、まつきちは半反の晒し2本で褌と腹巻きをつけてもらう。褌の横まわしは六尺のそれと比べてかなり腰高な位置にあり、それを腹巻きで下から腰を覆っていくやり方が珍しい。(埼玉県新座市の大和田裸神輿の締め方とそっくりであった。)
さらに頭には龍宮社という字の入った手拭い(別名、新通町の祭組名は龍宮社といいます。)、そして足には黒足袋と(加藤氏に準備していただいた)わらじ(激しい祭りのため、最後まで残らないものの、縛り方は甘酒まつりのときのそれよりもかなり頑丈なもので一度、足の甲で結んだあと、後ろにかけて固く縛る。)さらに23日にまつきち自作の腰蓑をつけ、右手首に「前締め」用の青いリストバンドをはめて、出発の準備が整った。
そうこう三々五々、町内の若衆が集まってくる。去年とは違い、23日にお会いした人々がいて心強く思った。
和田会長のご挨拶、松村祭礼部長の注意事項の喚起・説明とつづき、手締めてのち、「おっし、おっし」と町内を巡る。途中、立ち止まっては押しくらまんじゅう状態で奇声をあげる。なぜか、23日にお会いした方々とはちと違う。やたら若い人が多い。むしろ、浜垢離メンバーは高みの見物人になっているようだ。あの鈴木氏も、守谷氏も、中村氏も・・・
加藤氏は今年も警固のお役目でお忙しい。町内一周ののち、新通町交差点から北上していく。一行は右折して見付本通りを行く。東中区の大集団に呑まれていく。右手に青バンドのまつきちと孝充はお互い腕を組んで、裸男たちの一団を押し返す。ちょうど、万博最前列の警備員たちのように観客たちが走り出さないように規制するがごとく。今年の道順は去年より不確かであるが、(パンフレットが入手できなかったので)多分、去年と同じ行程だとすれば、見付本通りを東進→三本松御旅所(東の折り返し地点)→加茂川(西の折り返し地点)→矢奈比売神社(天神社)の順に練り歩き、同神社へ宮入り(堂入り)したものと思われる。
新通町のダシ(万灯)が目印になって去年とは違い迷うことはない。神社拝殿内でのもみ合いは「鬼踊り」と言って二人一組の肩車の男性たちが両手を交互に差し出しながら、波打つリズムでかなり激しく高揚している。なんと華麗な舞車(舞う肩車?)・・・。各町の裸男の到着で膨らむ人数とともになお一層激しさを増していく。
やがて、12時を迎える。神輿のお渡りである。今年はしっかり神輿を見ようと拝殿内でもみ合うことをそこそこに拝殿の入口近くで陣取っていたまつきちと孝充は一瞬の消灯とともに繰り出す神輿を追いかけて、見付本通りを西走する。今年はなんと神輿の足が遅いこと。さかんに「〆切」の持つ榊で叩かれながらも、前方ではかなり渋滞している様子。その間、漆黒(町には舞車の提灯以外、一切灯りがない。)の神輿はシルエットと化して、月明かりの中をくっきりと浮き上がってみえるは神の仕業か幻か。
なんと綺麗なことだろう。これぞカメラに収めたい光景ではあるが、残念ながらフラッシュの灯りもご法度なり。
去年は足が速くて輿は見られなかった。それだけに、どこの神輿よりもその雅(みやび)さがかもし出され、まさに神霊的にしてまた奥床しい。祭りの豪気というものだ。来年、「輿番」(輿の担ぎ手)なんて松村部長に冗談いわれたが、本当にやってみたい心境です。
500mほど先の総社(淡海国玉神社)に着くのが15分はかかったろうか、無事、総社に輿を収めて大祭は終わる。腰蓑を境内に奉納したのち、新通町のダシが見当たらぬ。(それもそのはず、あとで加藤氏から聞いた話しでは、ダシは宮入りと同時にその役を終えて町内へ帰っていくのだそうだ。)少々、境内に居すぎたようだ。町内の人々は輿収納と同時にその場を立ち去り、自治会館へと戻られたあとだった。まつきちたちは見付本通りを右折(新通町へ戻るのは左折)して、またまた去年と同じエラーを繰り返す。今度は孝充くんも一緒なので国道1号線を行く裸姿も苦にならぬ。しかし、去年よりも短時間で軌道修正できたものと思ったが、自治会館にたどり着いたのは1時半。皆さんをすっかり心配させて、じっと二人の帰還を待っててくださった。冷酒一献傾けて、一同手を締める。
自治会館でわらじをはずし(なんと残っていたんだ!去年はいつの間にかなくなっていたのに・・・尤も鬼踊りを控えめにしていたからだろう。)下帯解いて、ストーブにあたる。感激の余り涙する(ようにみえた)孝充くんがいかにも紅潮している。双方向かい合ってはにが笑い、いや照れ笑い。お互い裸同士は親しみが湧き、まことに妙なもの。
一旦、加藤家に戻り、三好氏らと再会する。栗野氏からカメラを受け取り、加藤氏不在のまま、三好氏としばし懇談する。ちょっと厳しいご発言ながら(どんなことを言われたかはオフレコ!)おっしゃることはわからぬ訳もなく、殊のほか酔いと睡魔に漂う三好氏でありました。やがて10分ほどで加藤氏も戻られ、一息つけたあと、お礼を言って迎えのタクシーに乗る。なおも玄関先で見送られる加藤氏に車窓からも一礼をして、深夜の街並みをホテルへと急ぐ。
ホテル着は2時30分。1時間程、孝充くんと反省会。3:30就寝。
翌朝、9:00起床。チェックアウトの10時ぎりぎりにホテルを出て、玄関先で居合わせたタクシーで磐田駅へと向かう。運転手さんに見付本通りに迂回してもらい、昨夜の間違いを検証する。やはり、思った通りであった。昨夜、通り一帯に散らかされたわらじや藁は既にきれいに掃き清められ、跡かたもない。もう一度新通町へ帰る道筋をトレースして、駅に到着したのが11時頃でした。
11:01発普通電車、11:14掛川着。11:23発こだま404号、13:10東京着。ここで孝充くんと別れ、浅草に立ち寄り、18時台のやまびこで宇都宮に帰りました。
本年は二部構成(浜垢離編と大祭編)も程なく幕を閉じました。翌日27日は午後5時から輿のご帰還があり、午後8時頃まで賑わっていたとの加藤氏の後刻談をいただきました。
来年は、9月15日浜垢離、9月18日から19日例大祭と開催が決まっています。今度は三部構成になるかもしれないっス。運がよければ輿番もやってみたいなあ・・・。
加藤氏のホームページには戦前からのまつり体験記がびっしり。彼の収集力と昔日の著者たちの情熱の大きさに脱帽いたします。是非、一読をおすすめいたします。
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