今年の見付天神裸祭は一味違った。再び多くの人との出逢いがあった。1年間のご無沙汰もまつきちにとっては各地を飛びまわって
いるものだから、もう1年が経つのかと時の過ぎるのをわずかと感じるものの、現地の人達との出逢いは1年ぶりと久しくて、さしずめ
友あり遠方より来たるという心境がなんとも懐かしく感じられるのである。
さて、この祭りの参加も今年で3年目になるが、祭り自体が1週間をかけて行われるものであるから、現地に住みつかない限りフル出
場することができない。
昨年、浜垢離(はまごり)にはじめて参加させていただいたまつきちは今年はあらたに大祭2日目の還御(かんぎょ)を見学させていた
だいた。
9月18日昼すぎに宇都宮を出て、磐田に着いたのが午後6時すぎ、今年も同行してくれた孝充くんと磐田駅前で落ち合い、まずは今
夜の逗留先である旅館「富士園」でチェックインを済ませようと、携帯電話で場所を確認することにした。
電話の向こうでは、「現在電波の届きにくい処か電源を切っておられます。」のメッセージが鳴る。
「どうして・・・?」
孝充くんが駅前の案内所へ行ってその場所を聞いてきてくれ、地図通りにそこをみつけるとなんとその旅館の玄関は閉っていて人の
気配がまったくない。どうなってんだ。困惑しているとやがてどこからか車が玄関先に乗りつけられる。
「何か用ですか?」と女の人の声。
「今日、ここを予約している者ですけど・・・」
「あっそう、あなたたちサッカーを観にきたの?」
今日はジュピロ磐田の試合が重なっていた。祭りが土日だから、どうしても日程が重なるようだ。
「いいえ。」
「ちょっと待って、予約を確認してくるから・・・」
「どうぞ、これ、鍵です。3階へ上がってください。風呂は1階のを使ってください。」と言ってどこかへ姿を消した。
非常階段をあがって3階出入口のノブに鍵を突っ込むも開かない。どうして・・・・・・?
再び露頭に迷っていると隣家の人が心配してくれる。
「どうしたの?」「これこれしかじか・・・・・・」
旅館の奥には飯場のようなプレハブや建設会社の従業員寄宿舎のような同じ3階建ての建物があったので、孝充くん、きっとあの寄
宿舎の3階だよと行ってみたが、やはり鍵は合わない。
一体どこなのか・・・・・飯場にたまたま居合わせた人に聞いても知らないと言う返事。
ふと、旅館の1階の調理場を閉め切る戸が開くのが確認できた。まるで泥棒のように侵入してらせん階段を上がり3階の部屋に鍵を
さすと、開いた!・・・よかった。ここだよ、孝充くん。
開けてみると、ふとんが2組それぞれの部屋に敷いてある。なんじゃこりゃ、連れ込みホテルじゃないの・・・1泊4,500円は安いと
手を打ったのになんだこりゃ。時刻はすでに7時を過ぎていた。
晩飯もまだだし、IKUさん宅には8時前には伺うと約束していたので、荷物を積み替えてすぐ旅館を後にしようとした。
1階に降りてみるとナント玄関が開いているではないか。ひょっこり旅館の女主人が現われて
「おでかけですか?」
「ああ、ところで宿泊代の精算はいつするの?」
「明日、朝でいいですよ。取りにきますから。門限はありませんのでいつ帰ってきてもいいですし。」
こんな経験ははじめてのまつきちと孝充くんはもう返す言葉が見つからなかった。
駅前へ戻り、ラーメンを腹に押し込むのがやっとの時間で、タクシーを走らせてお宅に着いたのがもう8時を過ぎていた。何度かイン
ターホンを鳴らすも誰も出られない。木戸を開けて、「こんばんは、IKUさ〜ん」
「やぁ、みんな待ってましたよ。」
「実はいろいろトラブルがありまして・・・」「これ少しですが・・・」
居間には今年もIKUさんの高校時代の同窓生、仕事の関係者や奥様のテニス仲間たちが揃っている。その中に今回まつきちがお誘
いしたW氏もおられた。
「はじめまして・・・」「どうも」
W氏は全国各地の裸まつりの写真を通じて日本文化を世界へ広め、変貌していくまつりの原形を今に残そうと頑張っておられる熱血漢
でありまして、まつきちが甚く尊敬しているご仁であります。
今回はIKU氏にお願いして、浜垢離から還御までのプロセスをカメラに収め、いつかはこれらをCD-ROMの写真集として出版されるで
あろう、その情報収集のご援助をさせて頂いた。
IKU氏の二つ返事で、しかも裸祭実行委員会副委員長であるK氏の肝いりで日報連10名様と同格の厚遇扱いを受け、カメラのシャッ
ターチャンスのご教授も頂いておられた。
「商売ものだけれど、どうぞ・・・」 IKU氏が経営するGYOYUの鮪を口に一つ二つ。さすが、冷凍方法に新特許の製品なるが故の絶
品に舌を巻く。鮮度が命の魚肉類は、口に入れるなり舌の上で溶けていく感じ。とても美味しい。
ビールが注がれる。(GYOYUをクリックすると、IKU氏のホームページへ行きます。よかったらご利用ください。)
接待係の三好さんが、「よう来たね・・・」
「IKUさん、もう会所へ行かないと」
「出発が8時45分だから25分には出ましょう。腰蓑とわらじは土間に置いてありますから」
やがて、8時半。もう出ないと・・・
IKUさんはまだ接待に追われている。ではお先にとIKU氏宅をあとにした。
会所に着くと氏子の方々が2〜3人居たが着替えはすでに終えていた。
「IKUさんのご紹介で参りました。よろしくお願いします。」 去年の方々とは違う。去年はここで締め込みを締めてもらったのに、今年
は・・・。
「足袋は黒だよ。」 しまった。白を持ってきちゃった。
「これ、一反もないよ。」孝充くんの晒しは半反と短かい。調子悪いね、今年は・・・。
「足袋の文数は?」・・・26.5cm IKU氏が27cmなので自宅から持ってきてくれたどなたかが白の一反の晒しを持ってきてくれた。
「まつきちくん、よう来たな。」 松村警固長の懐かしい声がする。
集合時刻の8時45分、町内の人々が締め込みに腰蓑の姿で現われる。龍宮社の手拭いを頭に巻いて。
ちょっと着替えに手間取った二人は、すでに会所の軒先で清めの酒を飲み、手締めをすませた一団のあとを追いかけて、町内の練り
に出発だ。
先頭の警固の方が龍宮社の名入りのダシ(万灯)を掲げ、他の警固の方々が手に手に提灯をかざし、裸衆を取り囲む。
裸衆たちが、「わっしょい、わっしょい」(やがて、「オイショ、オイショ」に変わる。)と連呼する。
10数名ほどの裸が前進しては立ち止まり、立ち止まってはもろ手を挙げて、その場で足踏みしながらおしくらまんじゅうをして練りあ
げる。
「オッショイ、オッショイ(・・・て、まつきちには聞こえた。)」 ホースから水が撒かれ、「ちめてぇ〜」
2−3分はその場でもんだあと、また次のところまで整列して進む。立ち止まるところは大口の寄付をしてくれたり、お神酒を振る舞っ
てくれるところだそうだ。
新通町内を右へ、左へ、そして国道1号線を東へ、西へ。このあたりは去年、一昨年と比べて、自分が今、どこに居るのかがはっきり
とわかるのが不思議であった。
町内の練りでは絶対に迷うことはなかったものの、やがて1号線から見付本通り(旧東海道)へ東中区の梯団に合流する東坂梅の木
あたりに出ると、そのおびただしく大勢の裸の一団に仰天する。
とはいえ、今年は龍宮社の万灯を目印に、白丁姿の警固の方々が顔馴染みなので迷うことはない。
孝充くんの両肩の御輿(担ぎ)だこに両手を置いて、オイショ、オイショと連呼して進む。
加茂川まで西進し、Uターン、今度は東進。元門から坂道を駆け上がり、三本松御旅所でまたUターン。再び西進して本通りの愛宕下
から右に曲がって鳥居をくぐり、一気に天神社(矢奈比売神社のこと)をめざして駆け上がる。
拝殿へ上がる順序は、@ 西区(1番触) A 西中区(2番触) B 東中区(鈴なし) C
東区(3番触)であった。
東中区の梯団の一員である龍宮社の新通町(しんどおりちょう)は鈴もちではないので鈴に触れることはできない。
1番触は西区の中でも1番町が、2番触は西中区の中でも2番町が、そして3番触は東区の中でも権現町がその鈴に触れることが
できる。
拝殿に上がると激しく踊り狂う裸衆たちで膨れあがり、天井のスプリンクラーからは勢いよく清い水が噴射されている。
しかし、それも焼け石に水とばかりに男たちの肌は飛び上がるほどに熱い。興奮しきった男たちの猛々しさを鬼というのも首肯させ
られる。
ある者は拝殿中央で二人揃えば肩車、しかも腰蓑をはずして締め込み一つで踊り狂う者。
群れの中ではひとり、もろ手を挙げて押し合う者。
これらの鬼踊りを演ずる男たちを遠巻きにして囲み、やがて隙あらばその群れに飛び込んでいく男たちでむせかえる。
そして、拝殿の外では鬼たちを一目見ようと大勢の見物人でわきかえる。
W氏は拝殿と(御輿)ご座所を仕切る木戸に陣取り、写真を撮りまくっている。神社から特別に授かった写真班の腕章がものをいっ
ているようだ。
手を挙げて、W氏に笑顔で合図を送る。すかさず、彼のカメラのフラッシュが自分に向ってパチリ。
拝殿手前では矢継ぎ早に鬼たちを囲む男たちの中から二人一組で、一人が潜り込んではもう一人の男の股ぐらを担いですくっと立ち
上がると、肩上の男が激しく両手を振りかざしながら、土台の男が勢いよく拝殿中央の群れの中へと飛び込んでいく。
何人も、何人も・・・。
孝充くんを諭し、俺たちも行くぞと奮い立つも孝充は恐ろしいと辞退する。まつきちも支えるのが少し自信がなかったので強引には行
かなかったが、来年こそは・・・もっと足腰を鍛えなくちゃね。
なかには縁取りだけの青い稲妻のごとく線状模様の入れ墨男も居て、孝充っぺが躊躇うのも無理はないと思った。
(実行委員会発行の参加心得では、入れ墨をした者は参加しないこととあるのだが・・・)
激しい熱気と地を這う響きそして歓喜の声に鬼たちは打ち奮い、全身汗びっしょりとなって踊り狂っている。40〜50分間はこの有様
が続き、やがて最高潮に達する。
午前0時を期して御輿を担ぐ輿番(こしばん)や榊をもった〆切(しめきり)がドドっと拝殿中央を分け入って、堂入りする。なかには裸
と激しくぶつかり、榊が大きくしなる。堂入り後、〆切は正面より出てしまうが、輿番はそのまま奥の御座所で整列する。
今年からは「消燈の際は、拝殿中央をあけて御輿を通すように」のふれ紙がわざとらしく感じられました。
オイショ、オイショが絶え間なくリズミカルに鳴動する拝殿はなおも最高潮を維持しつつも、午前0時半を過ぎた頃には、突然、すべて
の照明が消されます。
いよいよ御輿の出御(おわたり)である。
天神社の神様である矢奈比売様が輿に乗って総社へお渡りになる。ただ、天神社に祀られているもう一人の神である菅原道真公を
残して・・・これぞ宵祭りのメーンイベントなのだ。
ドタドタドタ・・・〆切が裸を押し広げて御輿の進む道をつくり、一気に28名の輿番が御輿をおかいこみ(両手を下にさげて持つ)の姿
勢で拝殿下を駆け下りていく。(残念ながら真っ暗なのでこの様子はまったくわからない。)
そのあとを追いかけようと裸の最前列につこうとするが〆切にさえぎられて進めない。
拝殿からはるか参道を見下ろすと、御輿の前を行く二本の松明の火がポーと立ち上っている。
あたりは電燈も月の光もない暗闇だから、この火に御輿が照らされて、そのどっしりと重厚な台座のシルエットがいかにも神々しく感
じられる一瞬でもあります。
その松明もやがて消され、まったくの暗闇に戻った本通りを御輿は総社へと疾走してゆきます。
今年、おわたりの御輿の姿を目撃したのはこの時だけで、約15分、2kmほどの行程を滞ることなく順調に矢奈比売様は総社へと到
着されました。
ここで腰蓑をはずして境内に積み上げ、黒足袋にわらじの原形をとどめて、(ふつう途中で脱げてしまうのだが、)締め込み一本で総
社から本通りを左折して(去年、一昨年はここを右折して加茂川方面まで遠回りしてしまった。)すぐの交差点を右折して龍宮社会所
へと二人きりで戻っていきました。
今年は道に迷うことなく、最短距離で戻って午前1時すぎ。会所前ではすでに警固の方など新通町の方々が車座になって酒を飲み、
なにやら話しに夢中になっておりました。(彼らは裸を天神社の拝殿に送り込んで、その足ですぐに会所へ戻られたようで11時40分
頃には戻っておられたそうだ。)
「ご苦労さん・・・今年は迷わなかったかい?」
松村警固長のねぎらいがとても嬉しい。
「ええ、お蔭様でなんとか・・・」
酒を茶碗に一杯頂いて、玄関先でわらじの紐をほどき、黒足袋を脱いで、フローリングされた会所の床上で腹巻きを解き、後ろの結
び目(といってもねじってひっかけているだけ)をゆるめると、水をたっぷり含んで重くなった晒しの布がその場にストンと落ちた。
いやぁ、さすがに解放感が堪らない。
傍らの孝充くんは隣りの畳の部屋で着替えている。地元の若衆は各々の自宅で着替えるのかそのままの格好で、(あれ、腰蓑つけ
てるよ、総社の境内に置いてくることになってるのにね。)会所へたどりつくさま、全員揃ったところで松村氏の音頭で手締めをし、
終わりとなる。
ようやく、Wさんも帰り着いたので、三人一緒にIKUさん宅へ戻って反省会?をする。
まつきちの今年の興味はこれから今夜の(総社から天神社への)輿の帰還であったので、IKU氏から予備知識としてそれぞれ町ごと
の役割分担や祭り組の呼び方などをいろいろと教わりました。
町ごとの祭り組の呼び方とその役割分担
(クリックするとそのページに行きます。)
輿番は隔年で地脇町と権現町で交代します。旧市街地の見付本通り(旧東海道)に面するこの二つの町は江戸時代にはかごかきが
大勢住んでいて、その町民が輿番にかりだされていた。
輿を担ぐのは全部で28名であるが、それに輿長、輿長補佐が鳳凰をもち、脇にお道具をもつ先供(さきとも)などを加えると総勢60
名はくだらないらしい。
また、元門車(富士見町)が御輿と裸を分ける係の〆切を担当する。
戦後まもなく御輿のおわたりに灯りをともす者がいて、それをいさめに輿番たちが人家に押し入って袋叩きにした結果、警察沙汰と
なり、その時輿番担当の地脇町は自粛して恭順の意をあらわすために人を出せなくなったとか。
そのピンチヒッターが同じ東中区梯団の御瀧車・清水・龍宮社・川龍社の4町であったとか。現在では地脇も復活し、5町で分担して
いる。
今年の輿番は地脇グループの番。IKU氏も龍宮社から6名ほどの担ぎ手の中に名を連ねておられる。
輿長・・・松本進夫氏(地脇町)、輿長補佐・・・石山哲氏(地脇町)、輿番は地脇、宿、新通、中川各町から、なぜか清水町は地脇の
方が代理を派遣して体面を保っているようだった。
じっくり話しを聞くこと1時間余、今度はIKU氏に導かれて、二番町にある松本氏のお宅におじゃまして、宴会に便乗させて頂
く。
そこで、昨年からお会いしたいと思っていた、「神職から見た見付天神裸祭」の編者である後藤氏に出会う。 (クリックするとIKU氏
のホームページの中の後藤氏編「神職から見た見付天神裸祭」へ行きます。この祭りの奥深さが伺えます。)
元門車の後藤氏は祭典部会の部会長でIKU氏よりは2才上、IKU氏と松本氏は青年部会の副部会長。同じく青年部会の副部会長
を務められる加茂川通の佐口氏、同じく青年部会の委員である河原町の石山氏、松本氏・佐口氏・石山氏は同級であり、IKU
氏より3才上、以上が実行委員会の人々である。他には住吉町の市会議員の宮崎氏、同じく住吉町で先供を務める山下氏他
松本氏の地元・二番町の人たちが集まっていました。
松本氏のご自宅は夜がふけてもなお、朝まで(喧喧諤諤の)生テレビ状態でありました。事実、まつきちらが失礼した午前3時頃を
過ぎてもなお、翌朝7時すぎまで残った4人(IKU氏、石山氏、宮崎氏、後藤氏)のバトルがつづいていたそうだ。
3時を過ぎ、静岡へ帰るW氏を見送って、二人は松本氏の奥様が運転する車で旅館まで送って頂いた。
共同風呂(という感じのだだっ広い浴室・・・変な旅館なのに、これには歓迎)にすっかり冷えた身体を暖めて床についたのはすでに
午前4時でありました。
この旅館、来年も使ってみるか・・・。