旅館の脇にコインランドリーを見つけて孝充くんが自分の褌や下着を洗って乾くのを待つ間、まつきちはぼんやりとテレビを見て
    
    いました。
   
    1時頃、磐田駅前で孝充くんと別れ、駅前の喫茶店で軽食をとり、バスで新通町をめざします。ふと、バスの中のテロップには

    『静岡新聞ニュース:18日夜裸衆が腰みのの練り。磐田市の見付天神裸祭りが開幕。「オイショ」の掛け声でちょうちんをかざし

    街中へ。』(原文通り。)フムフム。

    150円を料金箱に入れ、1時45分頃、新通町バス停に降りた。駅から7ー8分であった。

    まだ、約束の2時まで時間があると思い、交差点角のコンビニで静岡新聞を探したが売り切れたと店員が言う。

    まつきちは裸まつりにきて翌朝までいる時はいつも地元の新聞を購入するのであるが、残念ながら在庫なし……ちょっと遅すぎ 

    たかな、朝一番ならともかく。
 

    信号を渡りまっすぐ三州屋そば屋の方角は自治会館であるが、手前信号を1号線沿いに左折してIKU氏宅を再訪する。

    昨夜、一旦静岡へ戻ったW氏は今日も午後3時頃からの総社本殿祭を撮影するためにすでに神社に入っておられた。

    がらっと戸を開けると、居合わせたIKUさんが昨日の宴と同じ座敷に通してくれた。

    もうすっかりきれいに片づけられた部屋には奥さまとお二人でお相手して頂き、本日の還御祭の見所なんぞを話して聞かせてく
    
    れました。

    すでに荒勢さんから送ってもらったS61年神社本庁制作の見付天神裸祭のVTRでも予備知識を得ていたまつきちは、今夜の

    還御祭の最後を彩る御輿の胴上げこそが一番のお目当てでありました。
 

    今を遡ること、奈良時代の大宝律令で全国に国府が置かれ、総社が祀られる。

    国府が見付にあった証拠であり、国府自体は平安時代の中頃には磐田市駅の南に移る。

    国府が移っても総社は街の中心地。昔、本通りには東坂梅の木と西坂梅の木の木戸があり、総社を境に東区、西区を形成してお

    りました。

    この街は拡大して東中区、西中区を新たに加え、4グループの連合体で大祭を執り仕切っている。

    したがって、各々のグループ(梯団)の役割分担が徹底しているために、それぞれ各グループでは他のグループでどんなことが

    行われているのかは知る由もない。 

    伝統を守るためにも口伝えではなく史実としてとらえることもIKU氏ら実行委員会のテーマなのだ。

    天神社は、かの菅原道真公を合祀するものの、先には矢奈比売神をお祀りする矢奈比売神社(ご神体はオミナエシ)に悉平太郎

    伝説が絡み歴史の重みを感じさせる。

    昔、人身御供により鎮めた山の神(矢奈比売神のこと)に取り憑く化け物を長野に住む悉平太郎という犬が身を呈してこれを退

    治したという。

    その悉平太郎の銅像が天神社へ駆け上がる参道の中腹に据えられている。

    華やかなりしこの祭りの悲劇とも言うべき言い伝えがあり、鬼踊りは化け物を退治した悉平太郎の勇気を称え、民衆の歓喜する

    さまとIKU氏は説明してくれた。

    やがて、室町時代に入り、京都祇園の流れを汲む山車(だし)を舞車と称し、これを天御子神社と総社とを往復させる。

    7月第4日曜日の行事である。

    この街は総社がすべての中心なのだ。

    見付天神社の輿といい、舞車の山車といい、年に一度、総社を訪れて、臣下の礼を尽くすのではなかろうか(これはまつきちの

    勝手な解釈ではあるが…)。
           
    歴史の話しはこの辺で置き、現実に戻ろう。

    15:30頃、輿番たちの集合場所、馬場町交差点あたりにはもう大勢の白丁姿に白袴(袴のスリットからは白の締め込みがちら

    ちら覗く。褌の好きなまつきちはすぐにここに目がいってしまう。)そして、頭には黒エボシ。

    一発花火の合図とともに、天狗の面をつけた神主を先頭に、提灯やお道具もちの先供がつづく。さらに、御輿を乗せた台車がガ

    ラガラと行く。そのあともお供の人達が随行していく。

    「マイロウ、マイロウ(参ろう)」   掛け声がのどかだ。

    御輿の四隅には鈴のついた紐がつけられており、(おわたりの時にはなかった。)シャリンシャリンの音がこだまする。

    総社→本通り→加茂川沿い→市役所手前で引き返し、また元の道を戻っていく。

    途中、何回か立ち止まっては神主が祝詞(のりと)を揚げ、お祓いをしてはまた前進するのを繰り返していくものだから延々と時

    間が過ぎていく。

    市役所手前から引き返す頃には、今度は「チンヤサ、モンヤサ」の掛け声に変わる。

    チンヤサ、モンヤサとは、二人いる矢奈比売様の子供の名前とか、犬と猿の意味とかいろいろいわれがあるらしい。犬とは悉

    平太郎のことを指しているのだろうか。
 
    陽はとっぷりと暮れ、灯された提灯のみが行進する人の動きに合わせてゆらゆらと揺れ動く。

    もちろん、御輿の提灯にも灯がともり、夜の帳に映えて幽玄の世界をつくり出している。

    本通りへ戻る頃には行列の最後尾のそのあとに、次から次へと普段着姿に各祭り組の半纏を羽織っただけの人達が随っていく。

    どんどん人数は増えていく。青地に朱色の龍宮社の半纏が見えた。中村さんも、石川さんも、松村さんもいる。

    まるで提灯行列のように整斉と行進していく。加茂川沿いから右折して本通りを東へ進み元門町から三本松までの急な坂道を登

    っていくところでW氏とまつきちは御輿と別れを告げて、愛宕下から一足先に天神社の拝殿へと向かった。

    御輿にいつまでもついていくと肝心の写真が撮れないよとのIKU氏のアドバイスにより、場所取りのための先回りであった。

    拝殿前へ来て驚いたのは、昨夜ここで鬼踊りを演じられていたとは思えないほど床は綺麗に掃かれ、濡れていたはずも完全に乾

    いて、(地面と拝殿を繋ぐ)縄目の石畳の清楚さを一層、際立たせていたことでありました。

    このことは昨年経験したように、昨夜の鬼踊りで本通り中に転がっていた(途中ではずれた)腰簑、藁屑、空き缶などのゴミ類が、

     二日目朝6時から行われる町内一斉の清掃活動により一掃されることをIKU氏から聞かされていたので、なるほどなと納得させ

     られるとともに地元の人達がいかに規律正しいかがよくわかる。
 
 

    拝殿前で待つこと30−40分余り、はるか前方に御輿の提灯の灯が見える。

    しかし、停滞しているのかなかなか来ない。

    先に神主、役員、先供が拝殿奥へお入りになったあと、ちょっと間隔を置いてからすでに台車から持ち上げられた御輿が、輿番た

    ちにより担がれてきたかと思うと、まつきちの目と鼻の先で上下に揺すられている。輿番たちが御輿を放り上げているのである。

    いわば御輿の胴上げ……数えること全部で30回も連続して放り上げている。次いで御輿を担いだまま神社のまわりを一周してくる。

    そしてまた、拝殿前に着いた御輿はなんと2回目は44回も連続して放り上げられていた。

    それが終わると御輿は一気に拝殿奥へと移動し、台座に収められ、神主が祝詞を揚げて全員が二礼二拍手一礼をしてひれ伏す。

    お帰りになった神様の御霊を抜く儀式である。

    まさに、つい先程までの動の部分といま演じられる静の部分のコントラストが見事なほどにまつりの終幕を彩っている。

    胴上げの余韻が醒めないまま、IKU氏ら輿番たちが帰途していくのを見届けたのち、一足先にW氏ともども本通りからIKU氏の自

    宅へ戻ったのが8:45頃だったでしょうか。

    IKU氏の居間でくつろいでいるその間に、輿番の直会をようやく終えたIKU氏はご自宅で祭り装束から普段着に着替えられ、奥さま

    1人運転するマイカーのあとを3人乗りでW氏が運転のRV車がつづき、駅前の「寿司好」という寿司屋で4人水入らずの歓談を楽

     しませていただきました。
 
 
    (運転手の奥さまとW氏には悪かったのですが、)酒の酔いもまわり、11時すぎにはIKU氏ご夫妻、W氏ともお別れし、今夜の逗

    留先であるホテルハイウッドの門限(12時)になんとか間に合って、就寝は午前1時となりました。

    翌朝、6時3分の一番電車でJR磐田駅をあとに宇都宮へ戻っていきました。(9時51分に無事、到着しました。)
 
 

    来年はおみしばさまにも参加したいな。