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アチャー柔道・インド編
第15回「ジャパニ、ジャパニ」


アチャー柔道・ジャパニ、ジャパニ

サーカス小屋  

ジャパニ シアイ

日の丸 背負い投

儀 式     

 


サーカス小屋


「ホテルを教えて下さい」
トニー・リーは同じ質問を繰り返した。 私は自分が宿泊していたサルベーション・アーミーの名刺を彼に手渡した。
「トゥモロー、モーニング シッックスサーティ(6時30分)OK?」
彼は何度も時間を念押しして去っていった。
 そのサルベーション・アーミーに引き返すとイギリス人が不審そうに尋ねた。
「あれ、デリーに行ったんじゃないの?」
「いや、もう一泊だけする。明日インド人が来るから」
「フーン・・・・・・おたくも懲りないね」
 読みかけの雑誌から目を上げもせずに彼は冷ややかに言った。 その通りかも知れない。 しかし声を掛けてきたインド人の耳が潰れていたところをみると、 少なくとも彼がなんらかの格闘技をやっていることは間違いなさそうだ。 それさえ確認できればあとはどうでもよかったのだ。 どうせこの街では何度も騙されてきたんだから。

トニー・リーは翌朝、6時20分にホテルに現れた。 ボーイがベッドで寝ている私を起こしに来たが、本当は6時前に目が覚めていた。玄関で待っているトニーの後ろにはジープとライフル銃を持った兵隊が控えている。空港で銃を突きつけられた悪夢が脳裏をかすめた。
「グッドモーニング ミウラさん」
「グッドモーニング・・・はいいが、後ろの人は?」
 厳つい格好の兵隊が気になって尋ねたが何のことはない、 トニーの教え子であった。日本人の柔道家を迎えに行くと言ったら、 自分が所属する体のジープを調達してきたのだそうだ。
「ミウラさん、ジュードーギ持ってきて下さい」
「何で?」
「あとでメモリアルピクチャー(記念写真)を撮りたいんです」
 トニーに言われるままに柔道衣を持ってジープに乗り込んだ。変な話だが、 私はカルカッタに来て初めて裏切られなかったことにさわやかな満足感を覚えていた。
 車は朝靄に包まれたカルカッタの大通りを豪快なエンジン音を響かせながら走り抜けると、 間もなく左折して大きな公園に入っていった。
「この公園は?」
 私は公園の美しさに目を奪われ、思わずトニーに尋ねずにはおれなかった。
「マイダン・パークです」
(カルカッタにこんなところがあったんだ!)
 澄み切った空気と共に何処までも続く新緑の芝生、中央にはインド独立の祖、 マハトマ・ガンジーの銅像が建っている。 その周りでクリケットを楽しんでいる人達、 サッカーの練習に熱中する少年、 ジョギングで汗を流すカップルなど実にすがすがしい光景だ。 サダルストリートと通り一つ隔ててこんな世界があったとは。
 ジープは暫く公園の中を走った後、緑色の建物の前に停まった。
「ワタシタチのカルカッタ・ジュードークラブです」
 トニーが誇らしげに紹介した。
「ここが?」
周りを竹で編んだこの建物はどう見ても道場というよりサーカス小屋だ。 屋根にはテントが張ってある
「CALUCUTTA JUDO CLUB」と書かれた看板の下を通って中に入ると、 高床式の80畳くらいはある堂々とした道場が目の前に現れた。 畳の上では顔中ヒゲだらけの男、ターバンを巻いた者、 或いは女性や子供までが柔道衣を身につけ準備運動や打ち込みに汗を流している。 私は身体にゾクゾクッと鳥肌が立つのを感じた。 柔道場に入ったのは鎮西高校を卒業して以来何年ぶりだろう。 この蒸せ返るような熱気こそ久しく私が忘れていたものだった。
 トニーから今日のトーナメントがインド・ナショナルゲーム(日本でいう国体)のカルカッタ地区予選だということを聞かされた。 彼は程なく審判を務めなければならないので、と席を離れていったが、 それと前後して会場にはぞろぞろと見物人が集まり始めている。 ところどころに山羊や羊が混じって「メー、メー」鳴きながら一緒にご観戦だ。


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ジャパニ シアイ


学生時代はずっと戦う立場だった私にとって、 こうして一観客として座って試合を見るのは何となく面映ゆい感じだが、 インドの柔道がどんなものか段々と興味が湧いてきた。
 試合が始まった。が、そこに展開されたのはとても柔道と呼べるものではなかった。 体格こそ立派なのが多いが、出てくる選手のほとんどが柔道の基本である摺り足や体捌きが全く出来ていない。 相撲のように四つにガップリ組んだり、 プロレスのブレンバスターみたいな荒技をかけようと後ろから抱き抱えたり、 ひどいのになると相手の足を持って振り回そうとするのまでいた。 結果、技ありや一本になっても「決まり技は何?」と聞かれればとても答えようがないものばかりだ。
 そして、そんな際物的な技が飛び出したときの観客の熱狂ぶりは凄まじい。 敵味方に関係なく、選手が少しでも宙に浮こうものなら、「それ行け!」「もう少しだ!」とばかりにぴーぴーと口笛を鳴らして囃し立てる。 技が決まりでもすればそれは大変、会場中、輪になって踊りだす始末だ。逆に抑え込みなどの地味な技に入るとブーイングが起こる。 どうやらルールを理解した上で観戦しているわけでもなさそうだ。
 しかし私はそんなことよりも選手の方が心配だった。 基本もできてない者同士で大技ばかりを狙うから、 もし首から変な落ち方でもすれば大事になりかねない。
 ハッキリ言って柔道のレベルとしてはかなりお寒い状況であったが、 そんな中、一人だけ注目に値する選手がいた。 真っ黒な顎髭を豊かに蓄えた180cm以上はある大柄な男だ。 自分の有利な組み手に持っていくと、男は次から次へと足技を繰り出し、 相手がよろけたところを内股で思い切り跳ね上げあっさり一本勝ち。 今までの試合の中で一番目が覚めるような技だった。
 休憩時間、トニーが私のところに戻ってきた。

「ミウラさん、インドの柔道はどうですか?」
「うーん・・・・」
 私が唸っている意味をトニーは表情で察したらしく、 基本が出来ていないのはまだまだインドに指導者が少ないせいだ、 と切々と訴えてくる。別に彼を責めているわけではないのだから、 そうムキになられても困るのだが。
「でもあの選手は強かったよね」
 トニーの気持ちを逸らそうと、内股で勝った大男を指さした。
「ミウラさん、彼をシュクフクしてやって下さい」
 トニーに頼まれ男のところに行った。
「コングラチュレーション(おめでとう)」
「アリガトウゴザイマス」
 ぎこちない日本語で礼を言う彼と握手を交わした時、 トニーが会場に向かって大声で「ジャパニーズ、 ブラックベルト」と私を紹介した。(埴輪男め、余計なことを!)と思ったが、 観客が大きな拍手を送ってくれたので軽く一礼して応えた。 すると拍手が一段と大きくなるのに混じって会場のあちこちから 「ジャパニ ブラックベルト」「シアイ シアイ」という声が聞こえて来るではないか。 この声に会場はドッと沸いた。たちまち口笛や鳴物が囃し立てる中、 会場の声はやがて一つの言葉に収束して響きわたった。
「ジャパニ シアイ!」
「ジャパニ シアイ!」


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日の丸 背負い投


 私はこの状況が何を意味するのかを理解してゾッとした。 現役を離れて久しい体が、 なまりになまっていることは誰よりも自分が一番よく知っている。 いきなり試合などとはとんでもない話である。
「ジュードー、ロング、タイム、アゴーね。今はオンリー、ツーリスト」
 既にその気になって私の腕を掴んでいる大会関係者に必死に説明した。 しかし興奮した彼らには私の言葉など全く耳に入らないらしい。 シアイ、シアイ、とひたすら私を指さすばかりだ。
「ミウラさん、早くジュードーギにチェンジ!」
 トニー・リーでえある。
(こいつ、まさか・・・・)
 私は今朝、トニーが写真を撮るからと、 もっともらしい理由で柔道衣を持ってこさせたのを思い出した。
「ジャパニ シアイ!」
「ジャパニ シアイ!」
 会場のコールは止むどころか益々大きくなっていく。 優勝した大男は「ジャパニとシアイがしたい」と、 やる気満々で打ち込みを始めている。
(やるしかないのか・・・・!?)
 はっきり言って自信はなかった。 素人に毛が生えたみたいな他の選手ならまだ負ける気はしなかったが、 この選手は格が違う。 しかも大会に向け着実にトレーニングを積んできているのだろう。 もし負けたとしたら”日本人の柔道家”として負けたことになる。 「もう現役じゃないから」などという言い訳は、 ここに至ってはとても通用しそうにない。が、そうであったとしても、 ここで試合を避けたとなるとそれ以上の恥辱になるような気がした。
(やるしかないだろう!)
 柔道衣に着替え、準備運動もそこそこに畳の上に立つと「ハジメ」の一声と共にヒゲ男が猛然と上から覆い被さるように奥襟を取りに来た。 もの凄い力で引きつけて大内刈り、内股の連続技を仕掛けてくる。 私は受けるのが精一杯、後ずさりをしていくと場外に出て審判の「マテ」が入った。
(助かった!)
 このまま試合が続行していたら危ないところだった。 息を整えながら場内に戻る。
(掴まれたらとても勝負にならない。どのみち長期戦は禁物、 彼が奥襟を取りに来る瞬間に勝負をかけよう)
「ハジメ」
 再び審判の声が響く。大男は先と同じ形で覆い被さってくる。
 よし来た!
 素早く彼の懐に潜り込み、全神経を集中して背負い投げをかました。 男の体重が自分の背中を移動していくのが感じられる。
(決まれ!)
 私の体にのしかかっている重力がなくなったと思った瞬間、ドスン、 という音が響いた。
「イッポン!」
 静まり返った会場の中で、私はただゼエゼエと息を切らしていた。

 


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儀 式


「勝った!」というよりも「負けずに済んだ!」というのが偽らざる実感である。 もし負けてたらどうなっていたんだろう・・・・リュックの日の丸を見て背筋が寒くなった。
(早いところ退散しよう!)
 インド人たちのこと、 どうせすぐに「シアイ アゲイン(もう一度)」などと言い出すに決まっている。 次も勝てる保障など何もない。
 それにしても観客たち、一応大技が決まったのだから、 また派手に大騒ぎするかと思っていたが、意外に静かだ。 やはり地元の選手が負けたという事でショックなのだろうか。 いずれにしろここは早めにお暇するに限る。
 汗を拭き拭き着替えを取り出そうとしゃがみ込んだとき、 背中に人の気配を感じた。イヤな予感がする。 恐る恐る振り返る。・・・観客、 選手が一段となってぞろぞろと私の方に向かってきているではないか。 前進の血が逆流した。 逃げようと思っても足がすくんで動かない先頭の4、5人が近付いてきた。 彼らは私の肩を押さえつけるとその場に座らせようとする。 私は恐怖におののきながらも従うしかたかった。
 やがて最初の一人が跪くと、私の足の甲を触り両手を合わせて拝みだした。 それが済むと、一人、同じように膝や足に触れ、両手を合わせていく。 儀式は延々と続いた。

どれくらい時間が経ったのだろう。 気がつくと紺色のジャケットを着た一人の紳士が私の前で微笑んでいた。 彼は私の膝ではなく肩に両手を乗せて言った。
「ユーアーザ・チャンピオン」
「え?」
「ユーアーニューチャンピオン」
 周りの観客や選手たちも「チャンピオン、チャンピオン」と連呼を始め、 やがてその声と共に拍手が会場全体に広がっていった。

私が背負い投げで勝った選手の名はムスタク・アーメイド。 インド無差別級チャンピオンだということをトニー・リーから聞き、 観客や選手たちの一連の行動がようやく理解できた。
「ミウラさん、このクラブのコーチ、オネガイシマス」
 トニーは更にとんでもないことを言い出した。 彼はこの夏休みが終わるとパンジャーブ州のスポーツ学校に帰らなければならない。 そうすると、ここのコーチがいなくなってしまう。 指導者が必要だということは、この大会を見たミウラさんが一番分かっているはずだ、 などと妙な理屈も引っ張り出してくる。
「ミウラさん、オネガイシマス」
 紺色のジャケットを着こなしたこの紳士は、 カルカッタ柔道クラブの会長さんであった。 ムスタク・アーメイドは背筋をピンと伸ばして一礼をする。
「センセー、オネガイシマス。ワタシ、モット、ツヨクナリタイ、デス」
「ちょっと待った・・・」
 さっきまで一介の旅行者だった私が何の弾みで「センセー」呼ばれるんだろう。
「ジャパニコーチプリーズ」
 私の手を握った子供たちの言葉をきっかけに、 また「ジャパニ」コールが起こりそうになる。両手で必死に制した。 しかし制して静かになると今度は私が返事をする番であった。


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