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アチャー柔道・インド編
第16回「センセーの一日」


アチャー柔道・センセーの一日

イソウロウ 

クラブの一日

タブー   


イソウロウ


 私が居候をして3週間目を迎えるラケシュ君の住まいは、4階建てのマンションの1階、玄関の扉には表に5個、内側にも3個の鍵が取り付けられている。中に入ると8畳ほどの部屋が2つにバス、トイレがあるが、どの部屋も全体的に薄暗く、窓には鉄格子がはめてある。
 ラケシュ君はカルカッタ柔道クラブのメンバーの一人で、親元を離れこのマンションで一人暮らしをしている大学生。電子工学を専攻しているとか。
「随分大袈裟だね。この辺は泥棒が多いの?」
 最初に部屋に案内されたときにラケシュ君に尋ねた。
「センセー、これくらいは常識だよ」
 備えあれば憂い無し、ということなのだろう。そういえば、ここに厄介になるようになったきっかけも、元はと言えばサルベーション・アーミーで目覚まし時計を盗まれたのがきっかけだった。

「こんな鍵のないドミトリー(5〜6人の相部屋)なんか道路と一緒だよ」
 毎朝、サルベーション・アーミーに迎えに来る生徒の一人から注意された。
 「ジャパニなのにどうしてこんな汚い宿に泊まっているの?」
 どうしてと言われても安いからだが、総じて日本人は金持ちだと決めてかかっている彼らには、あまり説得力がないようだ。
 「センセーがこんな所に居ちゃ駄目だ!」
 「駄目と言われてもね・・・・・・」
 現実は駅前の立ち食いそばに生卵を落とすのを節約してインドに来た身だぞ!
 こんな押し問答を繰り返しているときに、あっけらかんと「それならウチに来れば?一部屋空いているよ」と言ってのけたのがラケシュ君であった。
 「でも、そういうわけには・・・・」
 「構わないよ。その代わり日本の話をたくさん聞かせてよ」
 ラケシュ君は部屋に私を連れてくる早々、M・Mと書かれた空き缶を差し出した。
 「M・M・・・・?」
 「マモル・ミウラ、センセーのイニシャルだよ」
 「そうか、するとこれは・・・」
 ケツ洗い缶というわけだ。インドではトイレで紙を使うことはほとんどない。大きい方の用を足したあとは、カメに溜めてある水をこのような空き缶で汲み取り、右手でお尻の割れ目に沿って流しつつ、左手でピチャピチャと洗う。チャパティをちぎる手、ライスを摘む手が何故右手だけだったのか、その答えがここにある。それにしてもイニシャル入りのプライベート缶を用意してくれているとは、ラケシュ君なかなか気が利いている。
 いい機会だから壁のあちこちに貼り散らかしているプロマイドについても説明しておこう。
 プロマイドといっても決してアイドル歌手やスポーツ選手の類ではなく、そこにはヒンズー教の神々が様々なポーズで極彩色に描かれている。この国では、神様たちこそアイドル中のアイドルなのだ。人気NO1は何といってもシヴァ神、トップの座を明け渡したことは過去2000年間、一度たりともない。ギネスブックに載ってもおかしくない。その後にクリシュナ、ガネーシャ、ハヌマン神などが続く。これらの神様たちは、雑貨屋で何十パイサ(1パイサは百分の一ルピー)かを出せば買え、他にポスター、キーホルダーなどのグッズも数多く売られている。
 私が寝るベッドの枕元にもラクシュ神(女神)のプロマイドが貼られているが、しかしこの神様と添い寝したのは最初の3日間だけであった。ベッドを私に提供したラケシュ君が石の床に直接ござを敷いて居るのを見てこっそりと真似をしてみたら、これがひんやりとして快適に眠れるのである。以降、床に寝る癖がついてしまったが、ラケシュ君にはこのことは内緒にしている。見つかると「センセーはゲストなんだからベッドに寝なくちゃ駄目だ」と怒られるのは目に見えているから。



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クラブの一日


 バリバリと、ものすごいエンジン音を響かせてエンフィールド350cc(メイド・イン・インディア)はラケシュ君ご自慢のバイク。彼は毎朝この愛車で、郊外のマンションからカルカッタ柔道クラブへと私を送ってくれる。マイダンパークの前で私はバイクを降り、大学に向かうラケシュ君と別れる。公園の朝さわやかな空気を体一杯に吸収しながらクラブの門をくぐると、召使いのルブラジが真っ先に飛んできて挨拶をする。
 「ナマステ、ミウラ・ジー(三浦様、おはようございます)」
 彼はこのカルカッタ柔道クラブに15年以上も働いている。私の靴や柔道衣を洗うと、盗まれないようにずっと外で見張っているし、洗濯物が乾かないときなどは、その下で眠るようなとても律儀な男なのである。子供たちから「ルブラジ、水を持ってこい」「床をきれいにしとけ」などと言われると「ハンジー(かしこまりました)」と返事をし黙々と働くルブラジは、口癖のように「オラは長年ここに仕えて、みんなからも良くしてもらっている。リキシャマン(人力車引き)や他の召使いたちよりもずっと果報者だべ」と自慢する。
 さて、肝心の柔道の稽古だが、朝は大体、小・中学生たちが中心である。私は学生時代に自分がやっていたことを思い出しながら、とにかく基本に重点を置いて指導した。彼らは一応摺り足や体捌きを頭では理解しているが、ただしそれが全然身に付いていない。インド人は地味な反復練習を好まないのである。5分もやるとすぐに飽きて、「センセー、もう分かった。早く技を教えてよ」と来る。私はそんな生徒を前に出させては、どたどたと動く足を払いまくり、或いは体捌きで散々困らせた上で投げ飛ばした。言葉で教えられない分はこうして体で覚えさせていくしかない。彼らが本当に理解したのかどうかは分からないが、少なくとも1週間くらいで基本メニューに対して不平を漏らす者はいなくなった。
 稽古が終わると、子供たちと一緒にチャイを飲みに行く。
 「センセーがおいしいチャイ屋を教えてやろう」
 ある日、私がインドに来て2日目に立ち寄り甘くて飲めなかった露店のチャイ屋に彼らを招待した。あのチャイが本当にうまかったのかどうか、確かめてみたかったのである。
 「このチャイ、すごくおいしよ!」
 「どうしてこんな店知ってたの?」
 反応は上々であった。私もつられて飲んでみたが確かにうまい。この時から私は「甘くないチャイなどチャイではない」と豪語している。
 生徒の家にもよく招待された。「日本から来た客人」に対するもてなしはまず音楽と水から始まるカセットテープからヒンディー語の甲高い歌声がボリュームマックスで聞こえてきたかと思うと、しゃれたお盆に水差しとコップが運ばれてくる。これはありがたく、稽古で渇いたのどを心地よく潤してくれる。一気に飲み干すと、また注ぎ足してくれる。また飲むとまた注ぎ足す。「ノーサンキュー」の言葉が出るまで延々と続く。次はチャイ。これも水と同じで「ノー」と言うまで何杯でも注ぎ続けられる。それが終わると、今度はてんこ盛りに盛られたビスケット、更にメインの料理へと続いていく。
 インドの家庭料理をこんな調子で何度か御馳走になっているうちに、何となく分かってきたことがある。インド人にとってカレーとは料理ではなく、日常の調味料みたいなものなのだ。感覚的には日本人にとっての味噌、醤油の類だろうか。味噌汁の具が毎日変わるように、カレーの具も毎日変わる。そしてマサラ(何種類かの香辛料を調合したもの)によって各家庭それぞれ微妙に味が違う。慣れとは不思議なもので、あれほど受け付けなかったカレーも、今では一日に一度はあの香辛料の臭いをかがないと落ち着かない。勿論、チャパティはちゃんと右手だけでちぎれるようにもなった。
 さらに生徒たちと一緒に行動していると、今までとは違う状況が見えてくる。例えばマーケットで買うオレンジジュースが半値以下で飲めるようになった。すると以前はボラれていたのか?しかし顔見知りのぷっくらおじさんは悪びれもせずニコニコ顔、そもそも彼らにとっては、ものの値段など時と場合と相手によって変わるのが当たり前なのだ。
 またモノ売り、モノ買い、乞食もあまり寄りつかなくなった。インド人たちと一緒に生活している私は、もはや彼らにとっては「おいしい客」ではないのだろう。
 夕方の稽古にはラケシュ君やムスタクなどの大学生や社会人たちが集まってくる。朝の部と同じく彼らも反復練習を嫌がる傾向にあったが、しかしクラブ最強のムスタクが率先垂範してこのメニューをこなすので、他の生徒たちも真似をするようになった。私としては大いに助かっている。要領のいいラケシュ君はやっているふりをして手を抜いている。これは減点1だ。
 悩みの種はカルカッタ名物の停電である。稽古の最中に突然真っ暗になると、フブラジが蝋燭を道場の隅々に一本ずつ立て終わるまで稽古を中断しなければならない。いくらルブラジがスローモーでもそれは彼の仕事、決して柔道部員たちは手を貸そうとしない。15分後やっと稽古が再開、しかし、蝋燭の薄明かりの中、むさ苦しい男と組んず解れつするのは今一つ気合いが入らないものだ。
 稽古が終わると再びラケシュ君のバイクに跨り帰宅する。晩飯はラケシュ君お手製のカレー料理。しかしこうして毎日御馳走になるだけでは気が引ける。私はある計画を思いついた。


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タブー


「ノー ニード!(必要ない)」
 私はカレー粉や香辛料を準備しだしたラケシュ君を厳しく咎めた。
 「カレー粉を使わないの?」
 インド人の彼が不審に思うのも無理はない。何を隠そう、今晩この部屋で開催されるのは焼き肉パーティーなのである。これならばみんなで語らいながら箸をつつくことが出来るし、肉、野菜と栄養のバランスもいい・・・というのは大義名分、要は自分自身カレーにも飽き、久しぶりに好物の焼き肉を腹一杯食ってみたくなったのである。
 野菜はバザールで新鮮なものがいくらでも手には入った。肉も専門店で身振り、手振りで適当な大きさにカットしてもらい、後は中華街でソィビーンソース(醤油に近い)を買えば準備万端だ。
 既に部屋には柔道クラブのメンバー7人が集まっている。私が皿に盛りつけた肉や野菜を運ぶと、みんなは一斉に驚愕の声を上げた。中には「オー・マイ・ゴッド(何てこったい)」と感動している奴もいる。フ、フ、フ、驚くのはこんがりと焼けた肉を食ってからにしてもらいたい。
 炭火の加減もちょうど良い。満を持しての網の上に牛肉を乗せる。ジュー、と懐かしい音。この瞬間がたまらない。更に二切れ三切れと乗せていくと勢いよく煙が立ち登った。するとラケシュ君慌てて部屋中の窓という窓を閉めてまわっている。
 「閉めると部屋が煙るぞ」
 ただでさえこの窓は小さいのに何を考えているんだろうか。
 それよりも肉が焼けてきた。食う前に一くさり訓示を垂れておこう。
 「いいか、ジュードーはパワーだ。今日は肉を存分に喰らってパワーを付けろ」
 そう言って私は一番大きい肉を取ってタレに浸し、まず試食。いい焼き加減である。夢中で次の肉を取って食べた。生徒たちもつられて手を出し始める。
 「アウチ!(熱い)」
 当たり前だ、素手でつかむ奴があるか。習慣とはいえ馬鹿なことを。手はあきらめた彼らは、次はフォークで恐る恐る口に運ぶ。
 「アウチ!(熱い)」
 今度は口の仲が熱いらしい。せっかくおいしく焼けた熱々の肉をいつまでもフーフーと吹いている。
 「駄目、駄目、そんなに冷ますとおいしくないぞ」
 注意したが無駄であった。彼らは散々吹きまくって冷たくなった肉を更に舌の先でチロチロ舐め、熱くないのを確認してから食べ始めた。私はインド人が猫舌だということをこの時初めて知った。
「うん、これはデリシャス!」
(熱ければもっとうまいのに・・・)
「味が薄いな、そうだ!タレにマサラ(香辛料)を入れよう!」
(おいおい、それは邪道だよ・・・)
 こんな調子で、最初は生徒たちの食べ方が気になって仕方がなかったが、そのうち、それぞれがうまいと思う方法で食べればいいと思い至り、やがて自分が食べることに無我夢中になった。
 しかし肉と野菜を一通り平らげると、今度は生徒たちの好き嫌いが目に付きだした。
 鶏肉だけ食う者、豚肉はより分ける者、野菜しか取らない者、これは目に余る。
 「オール イートー(全部喰え)」
 かなり強く注意したのだが偏食は改まらない。
 「ラケシュ、牛肉も食って見ろ。うまいぞ!」
 私は牛肉をぱくりと口に入れムシャムシャと食って見せた。ラケシュ君の顔が歪んだ。
 「どうしたんだ、ラケシュ、喰え!」
 彼はしかし、申し訳なさそうに壁のプロマイドを指した。そこには牛に乗ったシヴァ神が優しく微笑んでいる。
 (!そうだったのか・・・・)
 私は彼らの宗教のことをすっかり忘れていた。ラケシュ君たち、ヒンズー教徒にとっては牛は神聖な生き物だから食べることが出来ないのである。また、ムスタクたちイスラム教徒は豚は不浄なものということで一切口にしない。ヒンズー教徒の中には菜食主義者もいて、彼らに至ってはどんな肉も御法度なのだ。恐らくはラケシュ君が窓を閉めたのは匂いが近所に漏れるのを恐れたからなのだろう。
 「みんな済まなかった。自分が食べられるものだけ食ってくれ」
 しかしこの頃になると部屋中に煙が充満して、どれが何の肉か判別がつかなくなり、「ビーフ?」「ポーク?」と食べる前に全員で確認を取り合う始末だった。

全員帰った後、炭で煤けきった顔のラケシュ君に尋ねた。
 「食べられないと分かっていたなら、最初から言ってくれればよかったのに」
 「だってセンセー、すごく張り切っていたから・・・」
 私はいたく恥じ入った。

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