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アチャー柔道
第18回「第1回ナショナルゲーム」

アチャー柔道


アチャー柔道・第1回ナショナルゲーム

募る不安   

いざ、出陣  

デリー    

危険なスロープ

 


募る不安


 乱痴気と敬虔のドゥルガ・プージャが終わると、私がインドに戻ってきた本来の目的が待っていた。すなわちナショナルゲームに向けての2週間の強化合宿である。
 ナショナルゲームは日本で言う国体、それも第1回。まさにこの年からインドのスポーツの新しい歴史が始まることになる。お祭り好きのインド人が、これで大騒ぎしないはずはない。
「ミウラさん、調子はどうですか?」
 カルカッタ柔道クラブのカール会長は用もないのに毎日5回以上、稽古をのぞきにやってくる。カール会長というのは本名ではなく、彼の口ヒゲの先っぽがトランプのキングのようにツンとカールしているので私が勝手にそう呼んでいるだけだ。
「調子はぼちぼちですね」
 最初のうちこそ真面目に稽古の報告をしていた私だが、毎日何回も同じ質問をされると、さすがに言うこともなくなってくる。しかし、日本語の「ぼちぼち」を繰り返していると、カール会長もなんとなくそのニュアンスが分ったみたいで、私と並んで稽古を見ている折など、時々目を細めながら「まぁ、ボチボチですね」などと呟いたりする。そのタイミングが余りにも絶妙なので、実は、会長は日本人ではないかという錯覚に陥ってしまう時がある。
 閑話休題。基本稽古と体力トレーニング中心の午前の稽古が終わり、試合に向けての実戦稽古に移る午後には、カール会長他、地元ギャラリーの関心は一つの方向に集約されて行く。
「ウチの州は金メダルをいくつ取れるかのう?」
「まあ他の競技はともかくとしてだ、少なくとも柔道はジャパニのコーチがいるんだから3つは固いよ」
「馬鹿言っちゃいけない。それはジャパニに対して失礼だ.5個は確実だ」
 このような会話が弁当箱をぶら下げた仕事帰りの人たちの間で乱れ飛ぶ。ギャラリーだけならまだよかった。選手までが「僕、何色のメダル取れるのかな?」とうるさく聞いてくる。お前らはメダルのことを心配する前にキチンと稽古をやっておけばいいんだ!とは言うものの、軍人の選手などが、「メダルを取れれば昇給し、給料もうんとアップするので家族の生活が楽になるんだ」などと現実的な話を聞かされると、そう突っ張ったことばかりも言えなくなる。
「大丈夫、取れないことはない」
「それって取れるっていうこと?」 
「……まぁ、そうだ」
 私の憂鬱が始まった。何を根拠にメダルを取れると言えるのだろう。そもそも私はインド全体の柔道のレベルは勿論、隣の州の実力さえ知らない。ましてや柔道指導に関しては素人なのに、メダル何個などと言われても答えようがないではないか。
 夜、部屋に帰ると地図を拡げ、昼間、選手が強いと噂していた州を穴の空くほど見つめた。それでどうなるわけでもないことは分かってはいたが、とにかくそうしないと気持ちが落ち着かないのだ。その後、日本から買ってきた柔道の指導書を次々に読み漁る。相手側のことが何も分からない以上、こちらの実力を向上させるしかない。しかも短期間で、効率的に。が、柔道に限らず指導の方法は千差万別、これが絶対に正しいという方法はないのである。つまり本の数だけ指導の方法はある。私の迷いは深まるばかりであった。


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いざ、出陣


 その日のハウラー駅の混雑は並々ならぬものがあった。第1回ナショナルゲーム、ウエストベンガル州・代表チーム遠征の日。各選手、まるで引っ越しでもするかのように布団や鍋、釜など家財道具一式を携えている。 その日のハウラー駅の混雑は並々ならぬものがあった。
「初めてカルカッタ以外の街に行く」
「デリーに行けば叔父さんに会える」
 試合に行くよりも、修学旅行という感じだ。おまけに家族は言うに及ばず、親戚一同がそれぞれの選手を見送ろうというのだから、ハウラー駅の乞食や牛たちも大迷惑だったに違いない。「ミウラ・ジー、いよいよですね」
 汗だくで選手たちの重い荷物を引きずりながら召使いのルブラジがやってきた。
「いよいよだな」
「メダルはいくつ取れますかねえ」
 ここ数日、幾人の人から幾度となく繰り返された質問である。
 私は一時、メダルという言葉を聞く度にビクリと体が反応するほど神経質になっていたが、かといってどうなるものではなかった。地図を見ても、指導書を読み漁ってみても「こうすればメダルが取れます」などという方法などなかった。結局は今、自分たちがやるべき稽古をちゃんとこなしていくことが、メダルへの一番の近道だと思い当たるに至って、漸く心の平静を取り戻すことが出来るのだ。まずは人事を尽くそう。あとは天命を待つのみだ。
「たくさんとれるよう頑張るよ」
 私とルブラジが話している横では、カール会長が地元の関係者から同じ質問責めにあっている。
「まぁ、ボチボチですな」
 すっかりと、この言葉が気に入った彼は、自慢の髭を指で何度もなでながらニコニコと応えている。
 まるで装甲車みたいな焦げ茶色の列車に乗り込んだ選手たちの雰囲気はいたって和やかで、少しも気負ったところがない。ゲームをする者、お喋りに興じる者、鼻歌を歌う者等、まちまちで、彼らに比べると自分の気持ちがまだまだ不安に揺れているのがよく分かる。
「センセー、トランプやろうよ」
「トランプ?……は遠慮しとこう」
「いいじゃない、やろうよ」
 デリーに着くまでは2泊3日、約1300kmの長旅、その後、この2週間の合宿の答えが出るのが楽しみでもあり怖くもあったが、いずれにしろ汽車に乗り込んでしまった今はどうしようもない。"下手な考え休むに似たり"だ。
「よし、ババ抜きを知ってるか?」
 今更ばかばかしいと思っていたトランプも、やってみると案外楽しめた。


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デリー


 インドの列車では、日本みたいな懇切丁寧な到着案内など流れないので、選手たちが一斉に降り始めなければ、デリーに到着したことさえ分からなかった。
 首都、デリーはどこの州にも属さない政府直轄の地で、ニュー・デリーとオールド・デリーに分かれている。現在は、実質的に我々が到着したニュー・デリーがインドの首都として機能している。駅にはカルカッタ同様、乞食や野良牛がたむろしているが、一歩表へ出ると断然あか抜けている。第一外国人が多く(勿論、私もその一人ではあるのだが)、おまけにショートカットの女性(今のインドのニューファッションか?)があちこちにいる。カルカッタも大都会だが、そこでさえショートカットの女性など、先ずお目にかかったことはなかった。
「やっぱりデリーの女は違うな」
ラケシュ君やムスタクは完全にでれでれ顔になっている。
「こら、ラケシュ、ムスタクどこを見ている」
「センセーと同じところ……」
 ラケッシュ君が同類を見るような目で応えた。私の顔も余程にやけていたのだろうか。
 選手村はニュー・デリーの駅からバスで約30分の郊外に位置し、1982年のアジア大会に使用されたというだけあって非常に近代的な施設であった。
 夜はインドにしては割と涼しい。より寒いくらいだ。おそらくヒマラヤ山脈の影響なのだろうが、いずれにしろ悪いことではない。とにかく今は、汗と油と埃まみれになった体を3日振りに洗い流して、ぐっすりと眠りたい。
 大会役員として選手村に泊まっているトニー・リーと再会したのは翌日のこと。
「ミウラさん、久しぶりです。」
 相変わらず変化に乏しい埴輪顔で挨拶をしにきた。
「ウチの州、メダルはいくつ取れそうですか?」
 彼は今、役員を離れカルカッタ柔道クラブOBに戻れることを楽しんでいるかのようにも見えた。
「やることはやったけど……他のチームがわからんから何とも言えないな」
「それもそうですね。しかし、ウチの州のユニホームは目立ちますよ」
 ウエスト・ベンガルは州で統一したユニホームを作っているが、他では余りそういった例がないらしい。トニーは他の州の大会役員にしきりにそのことを自慢しているそうなのだ。
「ところで明日の開会式は何時からだっけ?」
「さぁ、10時位じゃないですか」
「10時位って……お前役員なんだろ」
 インド人が時間にいい加減なのは百も承知していたが、まさか国体に当たる行事の開会式くらいはピシッとしているだろうと思っていた……念のため他の人達にも確認するが、9時だ、いや午後の1時だと、てんで言うことが違う.カール会長に至っては、式は明後日などと言い出す始末、私はこの時点で確かめるのを止めにした。ちなみに、開会式は翌日11時ごろには何となく始まっていた。


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危険なスロープ


 さて、柔道の試合会場に行き私は仰天した。何と、そこはコンサートホール、ステージに畳を敷き詰め、その上で試合をやろうというのだ。私がホールに入っていくと、紺色のブレザーにバッジを付けた大会役員4〜5人がつかつかと寄ってきた。
「どうだ、ジャパニ。インドの会場もなかなか立派なものだろう」
「はい、確かに……でも試合場としてはビッグ・プロブレム……何で?」
 ここのホールは設計上、ステージが客席に向かって斜めに傾いているのだ。こういう場所が会場になることすら日本では信じがたいことなのに、それがナショナルゲームの正式な試合上とは……。
「この状態では選手が足を取られてしまいます」
 私は実際に畳に上がってみた.見た目よりも勾配がきつく、普通に立っているつもりでもかなり前につんのめる感じだ。
「ジャパニ、ノー・プロブレム! ここからはよーく見えるぞ」
 客席に座った役員の一人が"能天気"なことを言う。
「そ、そういう問題ではなくて……」
「多少のことは大丈夫、選手たちも立派な会場で試合ができることを喜んでいるんだから」
 いつの間にか選手達も畳に上がってキャッキャとはしゃいでいる。
「それに、いまさら会場を変更することもできませんよ」
「それは分りますが……でもけがをする危険性が……」
 しどろもどろ説明している私の肩を、柔道衣姿のラケシュ君がポーンと叩いた。
「センセー、心配しなくてもこれくらいへっちゃらだよ」
「これくらいって……これがどんなことかわかってんのか?」
「でも……相手だって同じ条件なんでしょ」
 その場の雰囲気は私がそれ以上反論できない浮かれきったものだった。
(まあ、何もなければいいけど……)
 自分で自分を納得させるしかなかった。
 間もなく、このステージに各州の代表選手が入場してきた。肌が黒人のように黒い選手から、青い目の西洋系、日本人のような顔立ちまでいて、さながらミニオリンピックの様相だ。
 また、体格的にはバスケット、バレーボール系の長身選手や、ボディ・ビルダー系のムキムキマンがやたらと目立った。
 年齢層もまだ頬が赤いあどけない子供から仙人みたいな白髪の人物まで極めて幅広い。……一体どんな大会になるんだろう。

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