アチャー柔道

日印友好協会事務局長
三浦 守 著

月刊「武道」に連載いたしました

目 次

◆ 日本編 ◆
 ◇  8 高校生無宿
  ◇  9 おかしな仲間たち
 ◇ 10 船山辰幸という男子
 ◇ 11 東京潜伏
 ◇ 12 杉並日記

◆ インド編 ◆
◇ 13 フライ・トゥー・インディア
◇ 14 カルカッタの憂鬱
◇ 15 ジャパニ、ジャパニ
◇ 16 センセーの一日
◇ 17 神様の住む帯
◇ 18 第1回ナショナルゲーム


「アチャー柔道」の「アチャー」は、ヒンディー語で、日常的にインド人がよく使う
"はい","わかった","よい" といった意味の言葉です。


 「ウルアー!」
 今日も子供達のたどたどしい気合いが部屋中に響いている。
 ここはインド・パンシャブ州アムリツァルにある柔道場・・・・・といっても、日本にあるような立派な施設を想像してもらっては困るのです。つまりは小学校の空き教室を利用したあばら屋みたいなもので、いつも線香の臭いがプンプンと立ちこめてる。
 「センセー、なにボケッとしているの!全国大会はすぐなんだよ」
 「わかった。すぐに行くからちょっと待っていろ」
 柔道を指導しているといっても、こんな調子で、威厳なんてものはからっきしないんです。学生時代に対戦し、私を教科書のお手本のように投げた山下泰裕さんならきっとこんなこともないんでしょうが・・・油を売っていると、生徒たちがまたうるさいから手短にお話しします。
 私が初めてインド行きを思い立ったのは、コメディアン由利徹師匠の付き人時代。当時、喜劇をめざしていた私の生活は悲劇そのものでした。兄弟子のたこ八郎(故人)さんと焼酎を酌み交わすのが最高の贅沢だった私にとって、唯一の楽しみは役者さんたちの海外ロケの話。人工衛星を飛ばしている科学者が休日にはガンジス河で行水をしているというインドに妙に興味をかき立てられました。
 1年後、密かに貯めた虎の子の10万円を腹巻きに入れ最初に足を踏み入れたのがカルカッタ。 ああ、あのとき、埴輪顔のあの男と出会いさえしなければ・・・しかし人の運命なんてのはつくづく不思議なもの。気が付けば早10年、全インド10万kmを旅していました。
 「センセー、早くしてよ!みんな待っているんだから」
 「おお、すまん、すまん」
やれやれ、情けないセンセーもあったものです。それにしても、私が異国の地でセンセーなどと呼ばれるようになるとは。子どもの頃にはあれほど先生たちを困らせていたのに・・・・


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