さて、ここは江戸城中でございます。  まだ残暑厳しい初秋のこと、そして、今日は帝鑑之間諸侯ご登城の日でありま した。  松平近江守様は御支度部屋にお入りになり、木野豊後守様を認められると声を 掛けられました。 「豊後守殿、お早いお着きで」 「おお、近江守殿」   お二人は、いわゆる碁仇 といった昵懇の間柄でありました。 「少々お話したき議これあり。よって、近い内に一局お手合わせ願えれば、その 折りにでもと・・・」 「それは心得たが、して、何かお困りのことでも?」  豊後守様はいぶか訝しげに問われました。 「いやいや、滅多なことではござらぬ。強いて申し上げれば、縁は誠に異なもの、 といった話でござる」 「はて? 合点が参りませぬが・・・」 「まあ、その折りにゆっくりとお話いたそう程に」  そのとき、表方より時の知らせがありましたので、お二人は揃って帝鑑之間へ お移りになりました。

  数日後のこと、豊後守様と近江守様は、深川にある近江守様下屋敷の上段之間 にて、碁盤を挟んで向き合っておられました。 「ところで、折り入ってのお話とは何でござろうや?」  石を打つ手を止め、豊後守様がお尋ねになりました。 「されば、我が家臣の娘で、当屋敷へ奥奉公に参っておるおそのと申す者がおり まする。その娘が東海道は見附の宿にて難儀しておるところを、貴殿のご家中に 助けられたる由。まずは、この近江守からもお礼申し上げる」  軽く頭を下げられました。 「何、左様なことがござりましたか。して、我が家臣とは誰ぞご存じで?」 「確か、日下某とか申されたる由でございます」 「おお、江戸詰留守居見習の日下兵庫か。すると、頃は昨四月か、もしくは今六 月のことでござるまいか?」  豊後守様は、兵庫様を上方へ使いに出した時のことを思い出されておっしゃい ました。 「仰せの通り」 「子細の程は?」 「昨春四月のこと。見附宿で掏摸に会ったおそのの巾着袋をその日下氏が取り戻 してくれたとのこと。その上、奇しくも本年六月にまた見附宿にて再会いたした ようでござる。それ以来、おそのはその者に満更でもないようすとか」 「そは、何も知らなんだ。めでたき話ではござるが・・・」 思いがけぬ話で、豊後守様は少々驚いたごようすでした。 「夫人の身のまわりの世話をしておる女子なれば、夫人に、是非この縁談をまと めるよう、達っての願いとせがまれましてのう。なにとぞ何卒、よしなにお頼み申す」  このように頼まれては、聞き流す訳にもいかず、 「しからば、まずは日下にお伝え申そう」  豊後守様は約束されたのでした。  それから、お二人はさもお楽しそうに石の音をさせ、碁は日暮れにまで及びま した。

   その数日後の夜のこと。  兵庫殿のお父様は、豊後守様のお呼び出しを受け、小石川の下藩邸にお出でに なりました。  豊後守様は、近江守様から頼まれましたおそのとの縁談をお父上に持ちかけら れましたところ、藩侯直々の縁談ですから、お父上にご異存あるはずもなく、こ の縁談はまさにトントン拍子にまとまったのでございます。

   ところで、お武家様のご縁組は、お家とお家との間で取り決められ、ご婚礼は、 まず、新郎新婦両家がそれぞれ仲人を立て、藩のお許しを戴かなくてはなりませんでした。  ご結納は「たのみのしるし」とも申しまして、ご結納の品としては、柳樽酒・ 金銀の末広・するめ鯣・昆布・あわび鮑・海老・腹合わせにしたたい鯛・かつお鰹・水引で飾った帯などに目録が添えられておりました。  そして、ご結納から幾日か立った吉日には、嫁入り道具が婚家に届けられるのでございす。   いよいよご婚儀とあいなる訳ですが、この時代には、大方はご婚家において行 われたようです。 しかし、おそのと兵庫様の祝言は、二人を結びつけて下さった遠江總社大神の ある見附宿で、という当人強っての願いが聞き入れられたのでございます。

  季節は、はや菊花が香る頃となっておりました。  そして、見附宿はまるでお祭の時のように華やいでおりました。  何しろ舞車で巡り逢えたのが縁で、おそのと兵庫殿がこの宿の南本陣でご祝言 を挙げることになったということで、この話は瞬く間に宿場中に広まり、町衆も 精一杯おもてなししようと張り切っていたからでございます。

 その日も灯点し頃、おその馴染みの旅籠の一室では  おそのは白無垢の婚礼衣装に整え、三つ指をついて 「お父上様、誠に長き間お世話になりありがとうござりました。どうか、ご機嫌 よろしゅう・・・」  お父様にお暇乞のご挨拶を始めたものの後は涙で言葉になりません。 「そちこそ達者でな。今後は、日下家のご両親を実の父母と思い、一所懸命に努 め。皆様にかわいがって戴くように。ゆめゆめ戻って来ようなどと思うてはなら ぬぞ」 「はい・・・、藤井家の恥になりませぬよう、あい努めまする」 「されば、この守り刀を授けよう」  そう言うと、お父様は傍らに置いていた懐剣を差し出しました。  それは、お母様の形見のお品でありました。  部屋の外では、控えていた旅籠の主人夫婦が、思わず手拭いを目頭に当ててお りました。

  「日下家の者でござります。仲人様をお連れいたしました」  旅籠の店先で声がしました。 「旦那様ー。日下家よりのおん方々がお着きなされたにー」  下男が奥に知らせると 「ようこそお出で下さりました。どうぞお上がり下さいませ」  嫁方のお仲人が出迎えました。 「失礼仕る」 花婿花嫁両家のお仲人は揃っておそのたちが居る部屋に入り、座に着くと白扇 を手前に置き、一礼して 「今日はお日柄も良ろしく、おめでとうござりまする。本日は、日下家の遣いと して嫁迎えに参上仕りました」  婿方お仲人の口上を受けて、嫁方お仲人は 「お役目誠に大儀に存じまする。本日は遠路お迎え戴きかたじけ忝のうござります」  おそののお父様も 「何卒よしなにお願い申し上げまする」 とご挨拶し、 「わらじざけ草鞋酒の支度をいたせ」  旅籠の主人に命じました。 やがて、おそのの乗物の支度が整ったと、下男が知らせに参りました。 「そうか、入れ」   お父様がそう答えると、仲間に舁れて駕籠が部屋に入って来ました。  侍女に手を引かれて、綿帽子を被ったおそのがそれに乗り込むと、かわいい犬 の張り子が手渡されました。旅籠の女将が、母親代わりに花嫁を送り出すはなむけ餞 でありました。 おそのが女将に会釈をすると、駕籠の戸が閉められ、玄関を出ました。

 婚礼の行列は、高張提灯を先頭に花婿花嫁両家のお仲人、続いての貝桶・茶道 具・挟箱などの道具類には家紋が入った緋色の布が被せられ、おそのの乗った駕 籠の脇には打物、そして、侍女が付き添い、その後に二棹の長持がありました。  往還は、町衆が灯した明かりで昼間のように明るく照らされ、旅籠の周りには、 おそのを一目見ようとする人々で満ち溢れておりました。 「本日お集まりのおん方々に申し上げまする。  この祝い酒、皆様にお召し上がり戴きとう存じます。  共に、娘の門出を祝うて下され!」  警固を努める宿役人が提灯で人混みをかき分け、行列が進み始めました。  駕籠に揺られながら、おそのはこれまでの出来事をあれこれと思い出し、優し かった母上様が生きてお出でであれば・・・と思うと、また、止めどもなく涙が 溢れて来たのでした。  そして、木遣りの声は、秋の夜空に冴え冴えと響き渡りました。

  一方、總社の筋向かえにある南本陣では、門の両脇に立てられた門提灯には灯 が入れられ、輿入れの行列の到着を、日下家ご一同が今や遅しと待っておりまし た。  やがて、行列が門前まで来ますと 「花嫁様のお着ーきー」  待っていた仲間が奥へ知らせに走りました。  おそのの乗った駕籠は、門をくぐり、そのまま進みました。  前庭ではかがりび篝火が焚かれ、玄関先では、二組の男女による餅搗きが行われてお り、おそのの乗った駕籠が通り過ぎると左の臼の餅を右に移して搗き合わされま した。 また、玄関上がり端両脇にある燭台の灯も同じように左の灯を右に合わせて消 されました。  駕籠は、嫁方お仲人に従い座敷に至りまして初めて下ろされ、侍女に介添えさ れながらおそのは降りたのでした。  それを部屋で迎えたのは、まちじょうろう待上臈といって、嫁方の親族から選ばれたご婦人方でした。

 おそのが座に着くと、婿方お仲人に続いて兵庫殿が入って来られました。  その時の兵庫殿のお召し物はと申しますと、子持ち筋が入ったかちんいろ褐色の麻裃に 鉄色無地ののしめ熨斗目でした。 そして、床の間に目をやりますと、周りには花婿花嫁両家の紋所が入った水引 が掛けられ、おめでたい品々を三方に積み重ねた蓬莱が中央に、その左右には 男蝶女蝶一対の付いた瓶子や山の幸海の幸が、手前には三重盃や引提などが三 方に載り、並べられておりました。  また、部屋の中央には高砂の島台が置かれており、兵庫殿はおそのとそれを挟 んで向き合うように座られました。 「これより、三三九度の盃事、執り行いまする」 お仲人のお言葉により、待上臈が手慣れたようすでお神酒移しなどの支度を整 え、福童子福童女と呼ばれる男女の稚児が入室して参りました。  兵庫殿とおそのは、まず、待上臈から引渡として搗栗を戴き、『高砂』のうたい謡 の中、福童子福童女のお酌により三重の盃にて交互にお神酒を戴きました。  三重盃や引提が床前に納まりますと 「これにて、三三九度の盃事、めでたくあい済みましてござります」  采配役の待上臈が締めました。   祝言の儀式は、このように全て待上臈が取り仕切り、三三九度の盃事は夫婦契 りの盃事とも呼ばれ、ご両親やご親族を交えずに行われるのが、この時代の習わ しでした。  「されば兵庫殿、舅殿が首を長くしてお待ちゆえ故、早速に奥之間へ参るといたそう」 兵庫殿とおそのは両家のお仲人と共に、日下家の方々が待つ奥之間へ向かいま した。

 待上臈に導かれ、おそのが庭に面した濡れ縁を行くと、おそのの姿を一目見よ うと、本陣の塀沿いに多くの人々が寄せていて 「ほれ、花嫁様だ、花嫁様が見えたんねー」 「どれどれ、おお、けっこいやー」  外の声が庭を越えて聞こえて来ました。  南本陣奥之間には、舅姑はじめ日下家のご親族ご一同がお揃いになり、藩侯様 ご名代としてご家老様もお見えでした。

 兵庫殿とおそのが両家のお仲人と共に座に着きますと 「ただいま別室にて、夫婦契りの盃、めでたくあい済ましてござりまする」  まず、お仲人よりのご報告がありました。  采配役をはじめ待上臈たちがここでも手際よく勤め、「舅への見参の儀」並び に「親族の盃事」が執り行われました。 「不束者ではござりますが、末永くよろしく、おん願い申し上げまする」  おそのがお舅様にご挨拶申し上げると 「よう来られたのう。まずは当家の家風によく馴染み、孫子の末まで栄えられる ようお努め下され」  お舅様はお言葉を掛けられました。 「畏まりましてござりまする」 「しからば、そこもとにこれを授けるとしよう」  おそのにこそで小袖を手渡されました。  それを抱持するように戴くと  「ありがたく頂戴いたしまする」 深々と頭を下げました。 「これをもちまして、ご婚儀全てめでたくあい済みましてござります」  お舅様はお仲人に 「ご両者とも、ご媒酌の労、誠に大儀でござりました」 「本日は誠におめでとうござりまする。日下藤井ご両家の益々のいやさか弥栄ならんこ とをお祈り申し上げまする」  お仲人もお役を終え、安堵の面もちでご挨拶されました。  「花嫁はこれよりお色直しのため、しばしの間退座させて戴きまする」  侍女に手を引かれ、おそのは控えの間に下がりました。

   お舅様よりの小袖に着替えたおそのが座に着くと、祝のうたげ宴が始まり、それは 大層な賑やかさでありました。  兵庫殿もおそのの花嫁姿を見やりながら、ことのほかうれしそうなごようすで した。  ふと、おそのは庭に飾られた菊花に目をやりました。  すると、菊花はどんどん増え、見附宿全体がまるで菊に埋もれしまったかのよ うに見え始めました。  そして、その芳香はむせ返る程に・・・

  と、その時,園子は眠りから覚めました。 「えっ、今は元禄・・・? そんな訳ないよね。それにしても、何て長い夢だっ たの・・・?」  園子は京都の女子大生で、卒論のテーマに東海道を選び、東京まで実際に歩い てみようと考え、浜松まで来ていました。 枕元には、ガイドブックの「見付・天龍川」のページが開いたままになってお り、明日訪ねるところを探している内、眠ってしまったようでした。  ひとり苦笑し、夢の中の出来事を思い浮かべてみました。 「江戸時代にタイムスリップして、わたしは『おその』・・・? 春は大名行列 でしょ。夏が祇園祭の舞車で、舞を舞って・・・。秋には結婚式。それもわたし が兵庫様と!・・・・。 でも、兵庫さんてなかなかいい男だったなー・・・な んて・・・」  今度は声を揚げて笑い出していました。


  「こんな楽しい夢を見せてくれる見付は、きっと、歴史のある町だから、住んで る人が優しいから、そして、何より人と人との出会いのある町 だからなんだろ うなー」 と、園子は思い、 「そうだ、明日は旧見附学校に寄って、遠江総社にも参拝してみようっと」  ガイドブックを閉じ、再び秋の夜の眠りに就いたのでした。


ー完ー