目次

  1. 農家に育った少年時代
  2. 希望を胸に台湾へ
  3. 鳳山農場
  4. 陸軍入隊
  5. 凍土満州
  6. バシー海峡春景色
  7. 捕虜生活
  8. 米兵との友情
  9. 復員
  10. 帰郷、結婚、そして今
  11. 著者略歴


2、希望を胸に台湾へ

春三月。農業高校も無事卒業し、日本の食品会社が合弁で作った台湾の合同鳳梨株式会社に就職するために、家族に送られ台湾へと出発進行。我が人生の第一歩を踏み出しました。カドヤの前でバスに乗り、袋井駅迄行き、今度は汽車に乗り名古屋で下車し、港で上船しドラの音に送られ、台湾への旅の始まりです。 今迄に船乗生活をした事がなかった為か、船酔いを感じ、食事する気持ちになりませんでした。

二日間過ぎた気がした頃、船の揺れが収まったので、勇気を出して甲板に出て見たら其処は基隆(きーるん)、雨の港。台湾基隆港でした。 下船して何もわからないので当地の案内人にお願いして、終点高雄までの切符を買い乗車しました。まわりの人達の言葉は一言とて解る訳もなく、四面楚歌、孤独閑を感じ、心に悶える自分でした。

何時の間にかうとうと眠っていた私を起こして下さる人が 「台中ですよ」と教えてくれました。 私は厚くお礼を言ひ、私の切符を見せ、 「高雄までです。」 と言ひ、台湾人の情に心を打たれました。流石、ブッダの国民だなと、私の将来に対する光明を痛切に心良く感じました。

高雄駅に着き、タクシーで会社に向かいました。受付に其の主旨を伝えると先方から 「長旅ご苦労様、今日は会社の独身寮に泊まって、明日九時迄に出社して下さい。」と言われました。 珍しい異国台湾の気分を味わおうと、高雄市内の銀座カフェに入りました。其処には海軍の水兵さんが三人居りました。共に故郷を遠く離れた者同士、心が通うのか、住所氏名を名乗りあうのでした。鹿児島県日置郡市来町大里、三原栄さんでした。程なく徴兵検査の通知を受け、港の西子湾の温浴場で検査を受け、乙種合格でした。

一夜明けて会社に足を運びました。受付から控室に通され、暫くして係の方から 「君は何故此の会社に入社されたのですか」 と聞かれました。私は 「スケールの大きい事。其の第一は製品の原料を作る農場と加工する工場が全島各地に有り、製品販売店も同様に有り、此の様なスケールの会社ですから」と答えました。 「解りました。時に君は農業高校出身でしたね。此処から一番近い鳳山農場に赴任して下さい。農場には日本語の分かる方が居ります。陳万才という優しい方が君の味方ですから。」