目次

  1. 農家に育った少年時代
  2. 希望を胸に台湾へ
  3. 鳳山農場
  4. 陸軍入隊
  5. 凍土満州
  6. バシー海峡春景色
  7. 捕虜生活
  8. 米兵との友情
  9. 復員
  10. 帰郷、結婚、そして今
  11. 著者略歴


3、鳳山農場

広い農場には、鳳梨の苗が整然と植えられておりました。事務所には王さんという温和な日本語の分かる方が「いらっしゃい」と言葉を掛けて下さり、 「私は今度此の社に入社した鈴木と申します。」 と名刺を渡しました。直ぐ独身寮に案内され、旅姿から解放されました。 食堂に行くと黄色い相思樹が沢山咲いて居り、爽やかな香りがして異国と言うダブルパンチを受け、日本語で「いらっしゃい」という言葉に、此処は何処かと目を疑うのでした。

夕食も終わり寮で横になって居たら、聞きなれない音がキイキイと。すぐ隣り房の先輩に、「彼の声は何の声」と尋ねたら、 「あれは守宮(やもり)と言う小さな動物です。常に蚊を食べ生きております。」と教えてくれました。 然し客室には四方網で張られて居り、蚊の入る余地もないのになぁと。然し害虫を喰べてくれる益虫なんだよ。何か愛らしさを覚える気持ちで一杯でした。

朝食後、地下足袋を履き、作業着を着て現地に行きました。すると彼らは一斉に私を見ました。二十人程の労働者たちは見慣れない鍬を持ち、真黒い布を被り黙々と作業して居ました。 私が現場に着いた時から、何か急にざわめく様になりました。その言葉の中に笑い声が混じって居りましたので、陳万才君に何の意味かと尋ねたら、それはカオギナと言う。言葉の意味は肥えた小豚と言う事だと。思うに私は体重六十キロ余り。頷きました。

任務上、現場の言葉を覚えるのが先決問題で、陳万才君に一句一句尋ね教わるのでした。クカシチム パーツァオとは、深く掘って草の根まで取ってという事でした。

後で聞いた事ですが、昔は此の丘は死人の埋葬地だったとか。時には大きな穴が開き、人骨が出て来たり、蛇が出て来たり、ハブ(毒蛇)とかも。百歩(ひゃっぽ)蛇(だ)と言う蛇は、咬まれて百歩歩かぬ内に倒れて終うそうだ。その様な蛇でない限り、蛇の急所を確り持って事務所迄運び、処分方法を尋ねるのでした。 此の様な事をする人は当地ではなく、変な人気者になったのでした。

六月ともなると鳳梨(パイナップル)の収穫期。甘酸っぱい香りが南風に乗って来ます。半年の苦労の賜。盗まれて終わない様に、陳万才君と度々夜警に務くのでした。 収穫したパインの根本にあるサツカ苗に既に寄生している貝殻虫を駆除する為、縦横二米位の棚を作り、その中に苗(サツカ)を三百本位入れ、彼の時使ったガスは青酸ガスだったと記憶していますが、天幕(シート)で覆(おお)い台の上の青酸ガス缶の栓を抜くのが新監督の役目とか。少しでも此のガスを吸えば彼の世行きかと命懸け、九拾才を過ぎた今でも心の底から浮かんで来ます。それは、次の春植える苗の準備の為、このような命を懸けた大切な仕事です。

パイン畑に草が生えて忙しくなり、部落にクリイを募集に行くとすぐ門先まで急いで来てタバコを新しい箱から取り出し、私がそれを受け取ると、マッチに火を点け、チャフンチャフンと所変われば品変わると言うけれど、拾八才の私には驚きました。

蚊に喰われたらマラリヤに罹るからと言われました。然し運命の悪戯に弄ばれて、遂にマラリヤに罹り、三十八度の高熱を出し、高雄病院に入院しました。誰に聞いたのか、海軍の三原栄さんが御見舞に来て下さいました。そしてお見舞いの品をベッド上に置きました。二日程して開いて見たら小さな蟻が一杯付いて居りました。熱帯地には思わぬ伏兵が居るもんだと驚きました。 マラリヤ菌は体内に入ると駆除するのに時間がかかるとか。然し新薬キニイネと言う丸薬によって、マラリヤは私の身体から除去する事が出来ました。