目次

  1. 農家に育った少年時代
  2. 希望を胸に台湾へ
  3. 鳳山農場
  4. 陸軍入隊
  5. 凍土満州
  6. バシー海峡春景色
  7. 捕虜生活
  8. 米兵との友情
  9. 復員
  10. 帰郷、結婚、そして今
  11. 著者略歴


4、陸軍入隊

農場の仕事も慣れた頃、高雄の本社が台北市へ移転する事になり、仕事に関係の無い私までもと、嬉しさで心に幸せを覚えるのでした。 現地は味の素ビル三階で、見晴らしの良い処でした。何故か此の地に来ても直ぐ友達が出来、「君の名は」と尋ねると、陳一義と書いて呉れました。君の名を教えて呉れた方はと尋ねたら、日本で言う自治会長と同じ班長さんですと、お互いに心を許す仲になりました。 此の様に仲良しになったその年のクリスマスの前日、 「鈴木さんは独身寮で一人で休まずに、私の家で楽しいクリスマスパァティを一緒に楽しみませう」と誘って頂き、遂に甘えてその言葉に乗ってしまう私でした。

此の様な至福の毎日だった私に、遂に来るべきものが来ました。それは歩兵名古屋十三部隊入隊通知でした。国民の義務である兵役で有り、拒む事は出来ませんでした。帰国の支度をしていた時、友人たちの中からは「飛行機の便があるのではないですか?」という声もありました。而し、当時の私の月給が弐拾円前後でしたので、其の資格も余裕もありませんでした。

色々な手続きをして、雨の港基隆。涙雨が今日も降っている。懐かしの故郷への船出が始まる。ドラの音に送られて、之が台湾との最後の別れになろうとは・・・。込み上げて来る涙が頬を伝うのを如何ともしがたく、心の中で左様ならと念じるのでした。

出航して二日目。日本の島影が霞んで見える様になった頃、船内が騒がしくなり、下船の準備が始まるのです。沖縄だ、何島だと、船酔いで食事も摂れない体故、待つは海路の日和かなと・・・。 船の揺れが収まったなぁと感じた時、其処は門司港でした。

次は高松港、最後は名古屋港です。トランクと身一つの体。名古屋駅から東海道本線上り列車に乗り、袋井駅で下車して見付行きの遠鉄バスに乗り、西島のカドヤの前で降りて、二百メートル先の我が家まで歩くと、昔のまゝの倉庫と牛舎、そして牛も健在でした。

思った通りの母の元気な姿があり、只一言、 「只今」と言っただけで、母の膝に伏すばかりでした。 上り端から座敷を通り、仏壇に線香を立て、其の足でお寺に行き、お墓に花と線香を立て、 「只今帰りました。之から亦名古屋の歩兵十三部隊に奉仕に参りますから家族をよろしく」とお願いして家路につきました。

帰宅から二日過ぎた日、愛國婦人會や村の役員の方達に送られ、名古屋歩兵十三部隊に入隊致しました。 私の入隊した部隊は輓(ばん)馬(ば)隊で、任務は馬舎内の馬糞の片付と敷草の交換でした。

そんなある日、馬は人を見る目が鋭く、私との手綱を引き離し、放馬して終いました。班長が之を見て、「鈴木二等兵は馬に舐められた」と言い、「自動車部隊に編入だ」と言われました。私としても馬は好きではなかったので、安堵の胸を撫でおろしました。