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アチャー柔道・日本編
第8回「高校生無宿」


アチャー柔道・高校生無宿

禁断の芋焼酎

さよならの始業式

ヒッチハイカー

花の都



禁断の芋焼酎

 遠くに走り行けば行くほど仲間との連帯感は深まっていった。3人集まれば文殊の知恵ではないが、馬鹿なことも色々考え実行したものだ。

 新殿の実家は魚の養殖場をやっているので、ある日学校に活きのいいハマチを持ってこさせた。福永はバイト先のスーパーからわさびや醤油などの調味料を調達、奈良は家から焼酎を持ってきて、補習が終わった後、誰もいなくなった教室で宴会を始めた。

 机をまな板代わりにして新殿が手際よくハマチをさばく。

「新殿は伊達に歳は喰っちょらんな」

 みんなから冷やかしの声が飛ぶ。新殿は苦笑いだ。その間に福永が小皿を準備している。

「おい福永、焼酎は六・四のお湯割りやど」

 奈良は紙袋から魔法瓶を取り出し福永に命令した。

 彼が飲んごろ(酒好き)だという噂は聞いていたが、この男、やはり酒のことになると一家言ある。見事にさばかれたハマチの刺身が皿に盛りつけられ奈良の音頭で乾杯!私には焼酎は初めての経験で、臭くてとても飲めたものではなかった。

「福永、自動販売機でコーラを買ってきてや」

 コーラという言葉を聞くや否や奈良が過敏に反応した。

「何やと?」

「いや、焼酎に混ぜようかと思うて……」

「コーラを!?焼酎はお湯割りが一番」

 魔法瓶を机にドンとたたきつけた。あまりの剣幕に私は焼酎のコーラ割りは諦めざるを得なかった。新殿は黙って奈良のコメントに頷き、自分でお湯割りを作ってうまそうに口を付ける。そして自らさばいた刺身に器用にわさびを乗せ醤油に浸すと「お湯割りには刺身が一番」と奈良の言葉を引き取った。

 なるほど、普段口数は少ないが、やはり新殿の立ち居振る舞いはどこか大人びて説得力がある。私は福永と顔を見合わせ妙に感心したものだ。

 その新殿がさばいた刺身は今朝まで生きていた奴だから文句なくうまい。かなり大きいと思っていたハマチも、そして一升瓶も4人でわいわい言っている内に忽ちなくなってしまった。最初は変な味がすると思った焼酎も、刺身と一緒だと以外と飲めたもので、すっかり盛り上がった私達は場所を変えて2次会をしようということになった。

「よし、おいの家でやるど」私は何のためらいもなく、2次会に自分の家を提供することを申し出た。幸い家族は泊まり掛けで出かけていて誰もいない。

 冷蔵庫からあるだけのものを引っぱり出し2階の私の部屋に新聞紙を敷いて再びコップを交えた。

「よし、今日は一晩中飲んど!」

 コップを高々と上げた奈良の浅黒い顔も、今は茶褐色に変化している。

 夕方の5時くらいから飲み始めて、夜の9時過ぎにはもう新しい一升瓶はおろか、台所の料理酒まで酒という酒は全て空になっていた。

「何か酒はなかか」

 この時点で奈良の目は完全に座っていて、呂律も回らなくなっている。

「じゃあ、おいは明日バイトがあるから、悪いけどこの辺で」

 福永は、奈良のこの様子を見ると瞬時に立ち上がり、いつもの言い訳の口上を述べ先に帰ってしまった。奈良が絡む暇がないほど機敏な行動であった。新殿はマイペースで飲み続け、いい気分になるとさっさと隣の部屋で寝てしまっている。私もかなり酔っぱらってきたので「おい達も寝っど」と奈良に言った。

「何を言うか!まだ飲んど」

「もうよか」

「わいは柔道部のくせにだらしなかど!」

「じゃどん、酒はもうなか」

「おいが買うてくる」

「勝手に行けよ!」

 柔道のことを言われ私も多少カチンときた。

 奈良が出ていった後、少しふらつくので横になると、この夏休みバイクで行った色々なところの風景が頭の中をぐるぐると駆けめぐる。三井なんかをバイクに乗せたらきっと目を丸くして驚くだろう。そうだ、柔道部のことはどうしよう。もうずるずると稽古をさぼって2週間以上になる。どこかで勇気を出して謝りに行かなければならない。そんなことを考えているうちに、いつしか私は酔いに任せて眠りこけていた。

 どんどんと玄関のドアを叩く激しい音で目が覚めた。奈良のバカが帰ってきたか。

「空いちょるぞ」

 そう叫んでもまたどんどんとドアを叩く。

 (しょうがない酔っぱらいめ)

 仕方なく、ふらつく足どりで下に降り玄関を開けると、そこには奈良と共に2人の警察官が立っていた。


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さよならの始業式

 奈良を両脇から抱えている警察官2人は厳めしそうな顔で私を見た。

「こら、お前も一緒に酒飲んどっとか?」

「いえ、飲んでなかですよ」

 呂律の回らない口調で言ったこの言葉を彼らが信用するはずもない。

「焼酎の臭いがぷんぷんするど」

 全てはお見通しだぞと言わんばかりに、警察官がニヤリと笑った。

「酒飲んだぐらいでごちゃごちゃ言うな!」

 うまくすれば注意だけで済むかもしれないと思っていたが、奈良のこの一言で私達は近くの交番まで連行され調書を取られた。夏休みが後1週間で終わろうかという頃の出来事であった。

 その後もまた何度か奈良達と合う機会はあったが、この事件以来、お互いに何かが胸の中につっかえていて何となく気まずい雰囲気である。強気の奈良も私を巻き添えにしてしまったことを後悔しているようだったし、福永や新殿は自分たちだけが助かったので何となく申し訳なさそうである。誰もが何かを言い出したくて言い出せない。

 2学期、始業式の朝、福永が教室に走り込んできた。

「三浦、お前と奈良の名前が掲示板に乗っちょったど」

 今までざわついていた教室はシーンと静まり返った。

(来るべきものが来た)

 校庭の中央掲示板を見に行くと・……

「右のもの飲酒行為のため退学に処す

  商業・2B三浦 守、土木・2C奈良邦彦」

 2学期の始業式の日が、私の鹿児島実業高校最後の日となった。


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ヒッチハイカー

 ショックがなかったと言えば嘘になる。今回はケンカと違い人を傷つけたり他人に迷惑をかけたりはしていないので、10日位の停学で済むだろうと自ら勝手に思いこんでいた。警察官からも「柔道はしっかり続けろよ」と励まされていたのだが、考えてみれば警察のお世話になったという事自体が、学校にとっては大きな問題だったのかもしれない。

「こら、さっさと働きに行け!」

 3日も家にいると母親は私を粗大ゴミ扱いする。いい年をした若い者が昼間から家でゴロゴロしているのだから、母親が邪魔くさく感じるのも無理はない。かといって友達はみんな学校だし、公演でぼーっとしていると田舎のことだから近所の目がうるさい。

 遠くへ行こうと決心した。まだ働く気にはなれず、かといってこれ以上家にいるのも耐えられない。どうせならみんなが憧れている東京に一足先に行って自慢話をしてやろう。とすればバイクも金もない私に与えられた方法はただ一つ、ヒッチハイクしかなかった。

「家出ではありませんから、警察には連絡しないで下さい。」

 家に置き手紙を残すと、次の日の朝早く2、3日分の着替えと小銭が詰まった竹筒の貯金箱、にぎりめし3戸をスポーツバッグに詰め込み、北へ向かう国道3号線に立っていた。

 しかし、いざ実際に目の前を通り過ぎる車に、先から2時間以上も親指を突き出して合図を送っているが、1台も止まってくれない。

(助手席は空いているんだから乗せてくれてもいいのに・・…)

 ここは場所が悪いから移ろう、近くの交差点まで歩いているとき、白い乗用車が目に入ったので諦め半分に声をかけてみた。

「どげんした(どうした)?」

 20歳代後半のネクタイ姿の人が窓を開け尋ねた。私が東京まで行きたいというと、その人は多少驚いた様子だったが、福岡に戻る途中だから乗って行けと話は簡単に成立、かくして私のヒッチハイクの旅は始まった。

 福岡までの道中、彼は終始ニコニコ顔で私に色々なことを話してくれた。仕事のこと、彼の住む福岡のこと、学生時代のサークルのこと、しかしどうやら一番話したかったのは1ヶ月後に目出度く結婚することだったようだ。

「いやあ、そろそろ俺も身を固めんとね」

 ルームミラーに映る彼の目は幸せ一杯という感じで、何となく私は気恥ずかしくなり窓の外に視線を移した。

 夕方、福岡に着くと、この人は何故か私を頼みもしない博多駅に連れていく。

「これで鹿児島に帰りんしゃい」

 そう行って万円札を私に手渡した。

「いや、オイは東京に行かなならんし」

 本音を言うと欲しかったが、しかしこの状況で「はい、ありがとうございます」と貰えるものでもない。

「よか!東京に行くなら行くで金は要るやろ」

 彼も1度出した金を引っ込めようとしない。

「でも・・・・…」

「そん代わり最後はちゃんと鹿児島に帰らんといかんよ」

 彼はそういうと、私のシャツの胸ポケットに1万円札を押し込み逃げるように去っていった。

「どうか幸せになって下さい。」後ろ姿にそう言いながら私はくしゃくしゃになった1万円札のしわを伸ばしていた。

 しかし私はどうも出会いの運をこのとき全て使い果たしてしまっていたようだ。それから東京に着くまでの間、いろいろな車を乗り継いだが、向こうから親切に「東京に行くよ」と声をかけておきながら、途中寄る倉庫ごとに荷降ろしを手伝わせる大型トラックの運転手、居眠りばかりして何度もガードレールにぶつかりそうになる恐怖の長距離ドライバー、乗っている間中会社の悪口を延々と愚痴り続けたと思えば、学校を途中で辞めるような人間は駄目だと説教をし出す赤帽のおじさん等々、お陰様でたった2日間で3年分の道徳の授業を受けたようだった。

 


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花の都

 さて、いざ東京に着いたものの、どこに行こうという当てがあるわけでもない。とりあえず山手線に乗っている分には迷子になることはないと聞いていたので、東京駅から最低運賃の切符を買って乗り込んだ。初めての東京は驚くべき所で、いくら走っても町が途切れない。少し寂しくなってきたかなぁと思うとまた巨大ビルが現出する。しかし3週目にはそれも当たり前の光景となり、いい加減にカツも痛くなってきた。せっかくだから電車を降りてどこか有名なところへ行こう。といっても私が知っているところと言えば東京タワーと日本武道館くらいだ。そうか、やはりここは柔道をやってた男としては日本武道館へ行くしかないだろう。

 何本か電車を乗り換え、武道館の最寄り駅に着く。長い階段を上り地上に出る。そこから3分も歩くと、やがて日本武道館がその大きなタマネギ状の擬宝珠をいただいた屋根を現してきた。

「テレビで見た通りやど」

 全日本選手権で見覚えのある威風堂々とした正面玄関の前に来ると、そのスケールの大きさに圧倒されるしかなかった。日本武道館から睨み付けられているようだ。

「こら、お前なんかが何しに来た」

 そんな風に叱られている錯覚に陥るのは柔道をやめた後ろめたさのせいだろうか。

 気がつくと、いつのまにか北の丸公園は赤い夕日に照らされ、その風景を初老の画家が小さなキャンバスに描いている。どこかの高校の修学旅行の一団がバスガイドさんに連れられ、わいわい言いながら私の前を横切っていく。考えてみればついこの間までは私も高校生だったのだ。

 渋谷の繁華街に繰り出したのは、既にネオンが鮮やかに夜を彩り始めた頃だ。華やかなショウウインドウ、着飾った若者達、見慣れないファッション、薄汚れたTシャツ姿の私などには誰も何の関心も示さない。

 その日の夜のうちに私は東名高速道路を西へ走るトラックに乗っていた。本当に体もくたくただし、東京の安宿に1泊くらいはしようと思っていたのだが、どこにも私の居場所を見付けられそうになかった。自慢話をしようと東京に出てきたはずが、実際は惨めな気持ちで花の都を後にした。

 「兄ちゃん、暗いのう。ワシの車に乗って、そんな辛気くさい顔せんといてぇな」用賀から乗せてもらった大阪ナンバーのタンクローリーの運転手さんだ。きんきらきんの羅紗を張り巡らした室内で、薄いサングラスをかけた40歳前半くらいのこの人は、顔こそ怖いが性格は異常に明るい。都はるみの大ファンで、、先から”あんこー椿はー”といい調子でこぶしを回している。話をしているうちに私が高校を退学になったことに触れると、このおっちゃん我が意を得たりとばかりに、

「頼もしいやんけ、兄ちゃん、学校なんか行くことはあらへんで!」

「でも、東京に来るときに乗せてもらったおじさんからは、高校だけはキチンと卒業しろと言われました。」

 私はさんさ説教を喰らった赤帽のおじさんの言葉を引用した。

「アホ!ワイを見てみい。中学もろくに出とらんけど、こうして全うに働いとるやろ」

 それからおっちゃんはすっかり私を気に入ってくれ、ハンドルを握っている間中、得意げに自分の身の上話をし出した。しかし聞いているうちに段々話は物騒になっていく。ワシはどこそこの組の誰々とは盃を交わした間柄だとか、広島の刑務所は居心地がどうだとか・・…ときどきおっちゃんは私に同意を求めるが何と答えていいものやら。

 名古屋を過ぎた辺りのドライブインで食事をとっているときに、おっちゃんの白いシャツの上から刺青らしきものが透けて見えた。

「兄ちゃん、柔道やっとったなら、ぎょうさん喰うやろ、遠慮せんでええで」

 おっちゃんは気を使って(?)私に3品くらいの料理を大盛りで注文しビールを注いでくれたが、さすがに喉を通らない。

「兄弟!グッといかんかい!」

 おっちゃんの額に青い血管が浮き出た。

「は、はい」私は慌ててビールを喉に流し込んだ。

 食後、3時間ほど寝て出発するという億ちゃんに、私は「お世話になりました。先を急ぎますので」とメモ書きを残し逃げるように次の車を探した。黙っていくと「兄弟、待て!」と後を追いかけてくるような気がしたのだ。

 それから何台の車を乗り継いだろうか、乗ってはうとうとと眠り岡山、広島、北九州と進んで、次に朝早くには鹿児島の市街地に立っていた。たった何日間かの旅ではあったが、すごくこのちっぽけな町が懐かしくてたまらなかった。まだ夜が明けて間もない通りには、たまに新聞配達の自転車が通るくらいで人通りはほとんどない。竹筒の貯金箱を振るとカランカランと寂しい音がする。結局行きがけに博多駅でもらった1万円は使うことなく旅は終わった。

 雑貨屋であんパンと牛乳を買って外へ出ると向こうからりりしい学生服姿の男が歩いてきた。朝日が逆光になって最初は顔が分からなかったが、剣道の防具一式を担いだその男は中学時代の親友・斎野弘ではないか。今は鹿児島商業高校・剣道部で活躍しているとか。

「三浦、いけんしよったか(どうしてた)?」

 斎野の表情からすると、どうやら私が退学になった事は知っていそうだ。

「ちょっとな・・…わいこそ、こんな朝早くどこに行っとよ?」

「国体の強化合宿よ」

 そう言った斎野の表情は中学時代に比べぐっと引き締まっている。

「そうか・・・…これもって行け」

 私は手に持ったアンパンと牛乳を斎野に渡した。

「でも、三浦が喰う分やなかか?」

「よか。わいは稽古で腹が減るやろーが」

 私がそう言うと斎野は有り難うと喜んでそれを受け取り去っていった。

 その後ろ姿を私は無精髭と薄汚れたTシャツ姿でいつまでも見送っていた。

(次号へ)


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