1.大名行列とは?
江戸時代、大名が公式の外出(参勤交代など)をする際に、石高や格式などにより規定された警護・儀式・荷物運搬などのための供揃を従えて往来した行列のこと。 (広辞苑)
2.参勤交代とは?
参勤 … 大名が将軍にはいえつ拝謁(忠誠心を示すための面会)するために、江戸へ参府すること。
交代 … 大名が将軍より暇を与えられ、江戸より国許(領国)に就くこと。
諸大名は妻子を江戸に住まわせ、大名自身は1年おきに江戸と国許で生活することが規則(武家諸法度)で決められていた。
参勤交代の時期は、外様大名が4月、譜代大名が6または8月とされていた。
また、東国大名と西国大名の2ブロックに分かれ、東国大名が江戸へ参府する年は西国大名は国許というように交互に行っていた。
〈参考文献〉『参勤交代道中記p―加賀班藩史料を読む』忠田敏男(平凡社) 『参勤交代』山本博文(講談社現代新書1394)
3.本陣・脇本陣
本 陣 … 江戸時代の宿駅で、大名・幕府役人・勅使・宮門跡などが宿泊する宿舎。
脇本陣 … 大名の供人が多くて本陣のみに宿泊しかねる時、予備にあてる宿舎。 (広辞苑)
4.見附の本陣と脇本陣
見附には総社入口東側に街道を挟むようにほぼ向かい合わせで2軒の本陣と御朱印上村清兵衛屋敷の斜め向かい側に脇本陣1軒があった。
5.見附の本陣亭主にまつわる逸話
元禄四年(1691)長崎より江戸参府復路道中
「四月一〇日 この日の行程では、見附で昼食をとり、浜松で泊まることになっていた。 … 中略 …
見附の宿の主人は礼儀正しい人で、われわれにもう一度敬意を表するために、 宿場のはずれまで山を下って来て、雨の降る中でぬれた地面に両手をついて坐っていた。彼は頭に何もかぶらず、スゲ笠を傍に置いていた。」
『江戸参府旅行日記』:エンゲルベルト・ケンペル(東洋文庫/平凡社)
6.大名行列の格式 其の一「挟 箱(はさみばこ)」
大名が道中で使う衣類等を入れた箱。一般的には、蓋の上面に二つ、左右の縁に一つずつ家紋(金・銀・黄・白・朱などの色で)を入れていた。
個数により対箱(2個)・片箱(1個)、行列内の位置により先箱(徒の先に持つ)・跡箱(乗物の後に持つ)の別があり、大名家の格式・云われにより決められていた。
7.見附宿と大名にまつわる逸話
『忠臣蔵』で有名な播州赤穂第3代当主、浅野内匠頭長矩が交代(江戸表より国許へ還る)の道中、見附宿に泊まっていて、その際の宿割が残っている。日付は元禄12年(1699)6月27日で、内匠頭は南本陣(神谷三郎右衛門)に宿泊している。
供家老は大野九郎兵衛(飯田屋宗右衛門泊)で、片岡源五右衛門(筑前屋甚四郎泊)・大高源五(助左衛門泊)など義士として知られた名前がお供衆の中に見える。
当然、この時彼らはその数年後に起こる悲劇を知る由もなかった。江戸城中刃傷事件は元禄14年3月14日。そして、吉良家討入は元禄15年12月14日のことである。
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