目次

  1. 農家に育った少年時代
  2. 希望を胸に台湾へ
  3. 鳳山農場
  4. 陸軍入隊
  5. 凍土満州
  6. バシー海峡春景色
  7. 捕虜生活
  8. 米兵との友情
  9. 復員
  10. 帰郷、結婚、そして今
  11. 著者略歴


5、凍土満州

暫くしたある日、当隊は全員中国中部地方に移動しました。我々当中隊は北満勃利(現中華人民共和国黒竜江省勃利県)でした。我が中隊の任務は糧秼倉庫の守衛でした。冬は凍土満州と言われ、一本の杭を立てるにも鍬では歯が立たず、鶴嘴で穴を掘り、一人が杭を立て、掘った土を根元に寄せて上から水を掛ければ、直ぐ凍って終いましたか。 当時勃利には直径二メートル、深さ一メートル程の井戸が有り、常時バケツで汲み上げて使って居りました。凍土勃利でも、地下二メートル位になると地熱で凍らなかった様でした。

任務上、常に倉庫の周りを廻って居た時、いくらかはペチカの上で休むのでしょうが、小野田セメントの空袋の上下の縫い糸を取り、胴巻きともズボンとも思われる姿で歩いていた軍内作業員でしょうか。余りもの惨(むご)さに七十年過ぎた今でも、目の前に浮かぶのです。

其処は毎日が身体の鍛え場所であり、又様々な五感を使った人生の訓練でした。銃を両手で持ち、両膝と両肘を使っての匍匐(ほふく)前進等、此の様な過去が有ってこそ、現在の健康が有るのだと思います。

毎日三度の食事も、当番兵が順番に回って来て、飯場の号令で一斉に採りに行き、古兵も新兵も同じテーブルでしたので、配飯が終ると、新兵はトロロ汁の様に御飯を流し込む様に済ませ、古兵の食事が済むのを待って居て、箸を置くのを見て、奪う様に持ち去り洗ってあげる事は、当時の新兵の古兵へのマナアの様な時代でした。毎日の演習の中での戦車が難しい。上から鉄棒で叩かれて初めて間違いを解る位でした

ある日曜日、同年兵と二人で勃利の町中を散策していた時のことです。雑貨店の軒先に珍しい光景があるではありませんか。それは横に掛けられた竿に拾匹位の野鳥が首を曲げて吊るされているのです。見れば銃で撃たれた傷もありません。店の主人に尋ねたら、「大豆を焼酎に一日漬けて、晴れた日の節減に夕方この大豆を撒いておき、明日朝早く見に行くと、アルコールに酔って凍死したのを拾って来るだけだよ。」而し、縄張りもあり、遠くへも行けず、外気温5℃以下の地方でないとできないとのことでした。

凍土満州も五月になれば若草が一面に生え、所どころに草丈三十センチメートル位に真っ赤な百合の花が咲き、此の姫百合こそが凍土満州に春を迎えて呉れるのでした。夜勤の時等、狼の遠吠えがウォーン等聞えた時など、思はず銃を構えるのでした。