目次

  1. 農家に育った少年時代
  2. 希望を胸に台湾へ
  3. 鳳山農場
  4. 陸軍入隊
  5. 凍土満州
  6. バシー海峡春景色
  7. 捕虜生活
  8. 米兵との友情
  9. 復員
  10. 帰郷、結婚、そして今
  11. 著者略歴


8、 米兵との友情

数日後、『キャン ユウ スピイク イングリッシュ』の募集が有り、私は少し自信が有ったので応募しました。カムオンと言うので進み出たら、丁度六人有り、彼らのジープに乗って行きました。 着いた所は彼らのキッチンルームでした。

それからと言うものは、手真似足真似、必死の毎日でした。カウンターで配食した残りは、我等六名が頂くのでした。昨日までの空腹感は何処へやら、芸は身を助けるとは此の事かと痛感するのでした 日本人の中でも、目は口程にものを言いとか、特に私に気を配って下さる兵隊さんがいました。

彼る日、「スズキ ユー カムオン」と呼ぶので走って行くと、 「今からシャワーを浴び度いので」と。私は下着一枚で走って行き、トムの頭の天辺から足の爪先迄、綺麗に洗い流して揚げるのでした。シャンプを付けて洗ってあげました。シャワーが終ると、トムはサンキューと言って自分の天幕に帰って行きました。去り行くトムの後姿を見て、昨日の敵は今日の友、込み上げて来る物をどうする事も出来ませんでした。 此の時程、心の中でカナダの軍医ベチウン同志の事を思い、心の中で嬉し泣きをしておりました。

昨日までは敵同士の仲。私が感冒で高熱を出した時、誰に聞いたか、トムが風邪薬を持って来て 「之を飲んで俺のベッドで休んでいなさい」と言って自身のベッドも提供して下さった。 トムと私の立場は天と地の位でしたが、トムの此の温かい気持ちの為か、一日過ぎたら熱も降り、平常になり、炊事場で働く事が出来る様になりました。之も偏(ひとえ)にトムの熱い友情の賜であり、他の何物も勝る物は有りませんでした。一般のPWは、広野の草取りとか整地など、私は汗を掻く程の仕事では有りませんでした。七十年過ぎた今でも、トムの友情は消えることはありません。

私達六名の仕事は、彼らから言われるままにメニューを作り、カウンターで配食する仕事でした。残品があれば、私達が食べる事が出来ましたし、食べ切れなければ空き缶に入れて、班に持ち帰って友人達に分配しました。内にはキッチンの仕事を交替せよと言う人も居りましたが、 「ノンスピーチではねぇ」と言って断りました。